10分ぐらいから・・
江川達也氏のことが好きなわけではないが、10分ぐらいからの話がちょっと考えさせるかなぁとは思う。
日本の学校教育自体が、実はコピペ文化であって、模範解答ありきの教育がそういう文化を助長させているのではないか?という仮説?ですね。
まあ、ネットをみても
・正論
・良識派の発言
に満ち溢れてるんだけど
これって、結局、何かの模範解答のコピペじゃないのか?というのは、いつも感じるんですね。
正直、聞くだけで疲れるよみたいな。
まあ、正論や良識派の発言でさえも、思想や考えでなくて、なにかの道具に成り下がっているという部分もあるとは思う。
自身で考えたら
・ツッコミどころ満載・論理矛盾を抱えている
どこかに絶対にそういう部分がでてくるんだけど、
自分自身で考えるとそういう弱点を背負い込むということになり、でもって下手に発言するとそういう部分を攻撃され、結局、委縮し、そういう馬鹿なことはやめようということになるのかもしれないなぁと思う。
コピペの正論と自身で考えた正論は、どこか違う
絶対に、その人らしさというのがどこかににじみ出ていることが多いので、個人的にはやっぱり違うと思う。でもこの感覚は微妙で、他の人からみると全く同じ?考えにみえるそうな。
僕の偏見では、文章からにじみ出るものを見ないで、周りの付加情報からいろいろその足りない部分を埋めて判断している人ほど、本当は違うはずなのに、同じに見えるような気がする。
たとえば、権威主義者ですね。権威という付加情報で、
同じことを言って言っているのに、権威ある人がいうと違うと感じたり
逆に違うことを言っているのに、権威ある人と同じことをいっているので正しいとかそうなるわけです。
コピペ(模倣)でも、オリジナリティを出すことは可能
なにかのパクリでも、その人がパクると、その人の色にどこか染まった部分をみることができるはずだという部分ですね。上記の動画の手塚先生はうんぬんのところで江川達也氏が言っているようなこと。
精錬された文章と、そつない文章とは微妙に違う
私的な文章を紡ごうとした時に、あるいは何かを表現したい時に皮肉や洒落っ気を加えない人達が圧倒的に多い。
文意に隙を作れば攻撃される、という思いが慣習化した挙句張り付いており、自分がやりたかった表現の起源すら忘れてしまってる。
色気のない整然としすぎた文章も逆にかっこいい。でもそれはよほど突き詰めた人の放つ凄みであって、普通の人が感覚を忘れたら何も紡げない。
私的な文章を紡ごうとした時に、あるいは何かを表現したい時に皮肉や洒落..
web.archive.org:私的な文章を紡ごうとした時に、あるいは何かを表現したい時に皮肉や洒落..
そつない文章をかいていたら、たぶん、「文章を紡ぐ」ことができない気はする。
皮肉や洒落っ気が必ず必要とは思わないが、味気ないそつない文章は、botかなぁという気はする。
1. 使い古された言葉ではなく"自分の言葉で"書く
2. 名詞を使う時はよく吟味すること
3. 動きのある動詞を選ぶこと
4. 曖昧な表現は避けること
5. 書き手の立場に合わせたトーンで
プロから教わる、良い文章を紡ぐ5つの珠玉のテクニック | ライフハッカー[日本版]
「自分の言葉で」書くという部分を軽視してはいけないとは思う。
まあ、自分の言葉で書くと、良い文章は書けなく
コピペするとよい文章を書けるという部分は確かにあるが
しかし、自身の考えを表現したかったら、前者を採用して、試行錯誤しながら練習をしないとダメなんじゃないかなぁと思う。
いつまでたっても、他人の言葉をかりないとよい文章を書けず
また、良い文章を書くためには、他人の言葉を探さないといけなくなると思う。
言いたいことを言っている人を探し出すみたいな路線にはまっていく人もいるかとは思う。
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