わざわざ断りを入れてから呼び出すときに使う「◯◯くんでいい?」というのは、言葉を置き換えると「これからお前のことをマウンティングするけど、いいよね?」と言っているのと同じなのです。
実際問題、わざわざ「ちゃん」「くん」に置き換える必要もありませんし、コミュニケーションが「さん」で「敬語」だとしづらいというのも本来ありません。
こと仕事に関していうならば「さん」「敬語」の方がスムーズにいくことも多く、タメ語になると身内感で仕事して駄目になるケースすらあります。
ちゃん付け・くん付を断ってからする人間には注意した方がいいという話 - とりま風呂
上下関係ないとかいうのは、そういう世界があればそうだけど
実際には、上下関係が存在する場合が多く、また周りの目もそういう風にみたりするわけで・・・。
もし上下関係とかなかったら、呼び方なんてみんな一緒で問題ないんですよ。
親しみ度合とかそういうので変わるとかいう論理も作れるけど、そんなの後から作られた論理ですよ。
同じ親しみ度合なのに、人によって呼び換えてるパターンなんていっぱいあるのをみれば、そんなのは大義名分的な逃げ論理だというのはわかる。
本当は、さんづけで呼びたいんだけど、周りがそういう雰囲気でない場合
僕は、仕事では「さん」づけで統一している原理主義者なんですが、それでもやっぱり無理がある場合もあるわけで、その時は例外を設定するしかないんですね。原理主義者の僕でさえもそうなんだから、そうでない場合は厳しい状況が多いと思う。
でもって、断りをいれて、「くん」「ちゃん」づけをいれている場合もみたことがあります。
で、賢い人はこの状況をどう使うかですね。
まずは、周りから「くん」「ちゃん」づけで呼ばれるなんて不当だとおもわれるような人物でないとダメですけど、そういう場合は、周りの人から「さん」づけで呼ばないのは失礼だよねとか言ってくる人がでてくるんですね。
そういう場合に、いや、<「くん」づけでよぶけどごめんね>みたいなことを言ってくれてるから、悪い人じゃないんだよという風にそういう人たちにいうわけです
お互いに立場を守るために、「断り」みたいなものがあり、その断りを違うところでつかえば、今度は自身の立場も守れるわけです。
呼び方を変えさせるのは、力を示すしかない
結局、そういう話になります。「ちゃん」「くん」づけは、セクハラですとか通る場面なら、そういう大義で押し通せますけど
そういう大義がないのなら、「自身の力」で相手を屈服?させるしかないんですよ。
逆に、僕みたいに「さん」づけ統一していると、逆に勘違いする人たちをみることができます。
「さん」づけされてるので、僕を見下す人たちです。
もちろん、力関係なので、「さん」づけしなくても見下す人たちはいるけど、それとは明らかにべつな種類の人たちを発見できます。つまり、呼び方で、相手が勘違いするかんじですね。
力なき礼儀正しくない人は、仕事上では付き合う気があまりないので、良いフィルターにはなります。
力があれば礼儀正しくなくても、生活のために付き合います。
力なき人の礼儀正しくなさは、鼻につくだけでは?!
仕事の結果でマウンティングするのではなく、年齢などでマウンティングしようとする人は、実は自分に自身がない人が多いです。
そういったタイプの人は自慢話や、ネームバリューの高さで関係を決めたりといったことが散見されます。
AD時代はゴミのように扱われたのに、プロデューサーになったらヘコヘコしてきた、みたいな芸能人の中でも売れないタイプの人がやりそうなことですよね。
いわゆる処世術としては、結構このやり方は正しかったりするようですが、とにかく自分が心地よく生きたいと思った時に、こうした上級マウンターはいろんな意味で問題のもとになりやすいので、お気をつけください。
ちゃん付け・くん付を断ってからする人間には注意した方がいいという話 - とりま風呂
年よりは、嘘でも敬いましょうっていう格言はあるけど・・・。
うーん、実力あっても年下からため口で言われるのはつらいものはあるとおもうけど・・・。
年が逆転している、上司・部下の関係だと、なんか「くん」で呼ぶけどごめんねみたいな断りがあったりする場合が多い気はするけどね。
理想は、年下上司が、年上部下に「さん」づけでやっても威厳を保てるのがいいんだけど、世の中そういうわけにもいかないのはあるとは思う。
あと、心地よくいきたいときは、嫌な奴のことをあれこれ考えないでスルーするか
嫌な奴を逆に、自身を高めるための材料に使ってしまったほうがよい気がしなくはないです。
仕事できなくても、人間性の良さだけ売って生きてる人たちもいるわけだから。
あと、年齢でやるのはダメで、実力・仕事の結果でやるのはOKだという話なら、それも違うと僕は思う。
「さん」づけ統一していたら
「さん」づけで統一していたら、上司から注意されたというのは過去あります。まあ、「さん」づけで統一するにしても、その人に実力がなければその主義は押し通すのは難しいということなんだと思う。
明らかに年下、実力下のものを「さん」づけで呼ぶのはおかしいという論理で、
それに反論するためには、自身が「明らかに上」なのは一目瞭然なので問題ないといえればいいわけですが
実力不足、能力不足、実績不足だとちょっといえないですよね。
まあ、実力あれば、それが正しいことでも正しくないことでも、押し通せることができるっていう話なのかもしれませんが・・。
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