そこで、車内携帯通話禁止でも、「緊急の場合を除き」という1フレーズを入れて、例外的なケースに対応できるようにすることを提案する。もちろん、緊急でないのに「緊急だ」といって世間話をし続ける輩が出てくるのは分かっているが、理由を問わず一律禁止の現状よりは、客同士が携帯通話で口論を起こすトラブルを防げるのではないか?
電車内の携帯電話、「緊急の場合を除き」の一言を入れよう
そういう風に、ルールに依存して、トラブルを回避しようとする態度が、結局はマナー(ルール、規則)への信仰につながり、息苦しい社会につながると思う。
その解決方法は、妥当なようにみえて、全然ダメ。
つまり、みんな、自分の都合が通りやすいルールにつくりかえようとするだけで、でもってそのルールを他人に強制しようとするだけの結果なんですよ。
今回の場合、どうすれば良かったのか?
仕方ないので席を立って、ドア近辺に移動すると、今度は若い乗務員が通りかかり、俺の電話に気づいた。携帯の利用をやめるように俺に話しかけてくる仕草を見せたその途端、咄嗟に、受話器から手を話し、「航空券の予約を取り消さないといけないんです!この電話に数万円かかってるんです!お願いします!お願いします!お願いします!」と頭を下げながら頼んだ。すると、「すぐに切ってくださいね」とだけ言って、立ち去った。
電車内の携帯電話、「緊急の場合を除き」の一言を入れよう
僕の価値観になってしまうけど、
まず、電話するのに座席に座ってやるのは、トラブル元なので、初めからドア付近とか人が少ない、移動しないと注意できないところで小声で電話すれば問題なかったと思う。
で、若い乗務員が通って、当然注意されるけど、
緊急の用事で、すみませんと一言断ったら、それで問題ないと思うが・・。
実際、「すぐに切って切ってくださいね」っていって立ち去ってるわけなので・・・。(ダメな場合は、切るのを確認してからでないと多くの場合、立ち去らないでしょう)
現状でもたいして問題ないと思うが違うのか?
緊急の電話をかけるだけなのに、肩身の狭い思いをしなくてはダメなのか?って言う話なら、たぶんちょっと勘違いしてるんじゃないかなぁと思う。
・・・・
電車内の携帯電話、「緊急の場合を除き」の一言を入れようこのマナーがおかしいのは同意するが「お前の事情なんて知らんがな」という気持ちもある。違う場面で私が困ってるときに増田が「私の事情」に配慮してくれるとも思えない。
2015/05/31 18:09
これですよ。
ルールに頼ろうとする人たちは、結局は、他人のことなんて知ったことではないんですよ。
対話して、その中での妥協点などをみつけて行く路線で無いと、息苦しい社会が継続するわけで・・・。
電車内の携帯電話、「緊急の場合を除き」の一言を入れよう五万円って緊急かなぁ。それはさておき、列車内で通話がダメになった理由は、その昔、携帯が出始めの頃、みんなが「ちっ、うるせーな」と思ったから。まぁ、鉄道会社の私有地だから、ルールは会社の匙加減とも言える
2015/05/31 17:23
僕の記憶でもそう。
大きい声で女子高校生が話してるのは良いのか?といえば、良いわけないというのが普通で、
あっちが何も言われないのなら、携帯もいいんじゃないの?という出すのは、身勝手・・・。
あと、そのあと、ペースメーカーとかそういう大義に乗っかるほうが楽なので、そっちに乗っかって禁止?にしただけで、その路線が結果駄目にしたんだと思う。
本当はうるさいな?というのが問題なのに、その路線だけでは強制力が低すぎてとかのような。
で、乗っかった「大儀」が崩れたときに、安易な解決をしたツケがくるわけです。
「緊急時は除く」も同じで、大義をつくって、安易な解決を目指すと、結局「大義」が崩れたときにかなりの反動がくると思う。
電車内の携帯電話、「緊急の場合を除き」の一言を入れようこの提案自体は良いと思う。でも、そこまで真面目に悩まなくても「ちょっとすんません」て断ってからかけるとか「すみませんねえオーラ」を出しておけば大体大丈夫な気がする。もちろん世の中には色々な人がいるが…
2015/05/31 17:15
結局、緊急時にイイって書いてるじゃないか?と言ってしまったら、周りと衝突するだけで、
今度は、そんなのは緊急といえないよという言葉の定義論争に発展するだけで、問題がすり替わっていくだけのような気がする。
それはともかく、「すみませんねオーラ」を出すのはよいことだし、それが基本だと僕は思う。
緊急時にはいいって書いてるからということで、当然オーラでやったら、反感買いますよ。
電車内の携帯電話、「緊急の場合を除き」の一言を入れよう車内通話の何が悪いの?派。"マナー"や"ルール"が「自分の気に入らないことについて他人を攻撃するための方便」となっている現状が異常。
2015/05/31 15:19
逆に、自分の都合を押しとおす方便に成り下がってもダメだとおもうんだけどね。
どんな些細な言い争いも、殺人事件まで発展する?!
その事実を利用して、正論で逆にごり押ししようとする態度は、結局ダメだと思うは思う。最近多いんだよな、
ルールを守れって一方では言ってるのに、
都合の悪い時は、ルールの方がまちがっている、ルールを改定すべきだっていう人たちが・・・。
日本国中に氾濫していると思うよ。
決まったことには従ってもらうのがルールだといいつつ
一方では、過去に決まったことなので現状に合わないんだとかいう話で・・・。
まあ、そういう話はまだ良いんだけど、現状のルールをそういう理由でわざと守らないっていう感じで・・・。
つまり、他人を支配する(他人を従わせる)ツールに成り下がってるということ。
ルールに頼らずに、対話しよう
政治とか大きな話は僕は知らないけど、日常生活のたわいもないものに関しては、
ルールに頼らずに、対話する態度が大事だと思う。
本当は注意する側も、申し訳ないが規則でも決まっているので、携帯電話は遠慮してもらえないか?みたいな態度の方がよいとおもうんだけどね。
ルールで決まってるのに、何やってるんだみたいな態度だと、初めからケンカ売ってると思われても仕方がないわけで・・・。
逆に当然の権利でも、周りに遠慮がちにするのも、必要なことだと僕はおもうけど・・・。
なぜ、当然の権利なのに、肩身狭くならないとダメなのか?とかいう態度だと、周りと衝突するのは目に見えてわけで・・。
社会運動としてやる行動と
日常生活の周りとの関係でやる行動は
使い分けないとダメなんじゃないかなぁと思う。
だって、権利を行使することで、周りの人が迷惑にかんじるのなら、それに関しては気持ちだけでも考慮すべきであって、それは社会が悪いとかそういうのとは別次元のものだと思うから。
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