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高校生の一人息子に、大学進学のことで相談をされた。
文学部を受験し、史学科に進みたいと言う。
息子の史学科進学を支えたい
人生の選択は、子供にあるわけで、
情報を提供する、思いを伝えるのは問題ないとおもうけど
誘導するのは、押しつけとかわらないかと思う。
なぜ文学部なのか?
なぜ史学科なのか?
大学院まで行きたいのか?
将来、学問の道に進みたいのか?
とうとう、いろいろ聞いて親としても判断したほうがよさそうに僕はおもうけどね。
将来、就職活動で不利になって、周りの友達がいくような会社にはいけなくなるよというのがあるとして
それと天秤にかけて、やっぱり文学部は辞めておくというのも一つの決断であり、覚悟であろうと思う。
逆に、それでもあえて文学部に進んで勉強したいという人だって当然いるし、それも決断であり、覚悟であろうと思います。
重要なのは、どちらの判断であっても、決断であり覚悟なんですね。
原理主義者?の立場?
至上主義者?の立場?まあ、よくわからんけど、強くその方向をプッシュする人たちは、そういう傾向にあると思う。
まず、本人(子供)の思いよりも、当人の思いの方が最優先される傾向にあるし
当人の思いの論理を補強することばかり考えて
本人(子供)の思いを勝手に思い込んでいる可能性はたかいと思う。
■学問をする原理主義者
学問はそれ自体に価値がある。
就職するための手段でもなければ、モラトリアムを頂戴するための口実でもない。
仕事のことは考えるな。学びたい智慧を修めろ。
息子がスリランカ史を大学院まで勉強しても構わない。
卒業後ポスドクにさえなれず、ゴミ収集員になっても構わない。
どんな職に就いても、あるいは就けなくても、私は息子のことを誇りに思う。
子に対する親の愛情ゆえではない。学問に対するリスペクトだ。どんな専門領域でも、私は学のある人間に敬意を表する。
息子の史学科進学を支えたい
■就職をする原理主義者
嫁は息子を法学部へ進ませたいらしい。
理由は「就職に有利だから」だ。
彼女は大学を就職予備校だと思っている。そして我が子に『一番良いルート』を勧めている。
息子の史学科進学を支えたい
あつくさせる論理は、人の判断を誤らせる
結果がよければ、まあ、あまり深く考えなくても良いというのはあるとは思う。情熱は、行動を促す傾向にあるが、
冷静な判断ができなくなるというデメリットもある
大学でないと学問できないの?!
アニメ「マスターキートン」(原作は浦沢直樹の漫画)の「屋根の下の巴里」である。
「『学校がなくても学び続けることはできる』。学ぶというのは、自分の意志ひとつなんだと思う。気持ちさえあれば、すべて勉強になる。不安であっても、やりたいことをやる、ということがあこがれる」
「屋根の下の巴里」上映: 風の便りの吹きだまり
あつくさせるような論理は、どこにでも、どの方向にも落ちてるわけで
それが正しいかどうかで無くて、
どれを選択すべきか?という結局は、もとの話に戻るだけだと思う。
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完全版だと2巻に上記の話は入っていたと思います。
話は素晴らしいし、感動的だけど
その通りにすればよいかどうかは、話の素晴らしさとは別ものだと思う。
まあ、当たり前の話ですね。
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