自己責任論が吹き荒れるだけで・・・。
でも、コストに見合わないものに、金を出せる国なんて
先進国で今でもあるのか?といえば、微妙だと思うけど。
必死に、こうする必要性があると言っても、
それを必要だと多くの人が認めない限り、
コストに見合わないものとして処理されるのは当然だと思う。
・極端な「自己責任論」の台頭、社会崩壊を招く? | JIJICO [ジジコ] - 毎朝3分の知恵チャージ
・「自己責任論」で中世に退行する日本(古谷経衡) - 個人 - Yahoo!ニュース
・最優先すべきは命だ | 森達也
社会が崩壊しないために、自己責任論がある
しかしながら、このような「自己責任論」を突き進めて、あらゆる場面で適用してしまうと、社会保障などの相互扶助制度自体が不要ということにもなりかねず、
極端な「自己責任論」の台頭、社会崩壊を招く? | JIJICO [ジジコ] - 毎朝3分の知恵チャージ
だから、コストに合わないものは、自己責任っていうラベルを貼って処理してるだけだと思う。
社会保障などの相互扶助制度でも、最低ラインはここまでという線引きをして、あとは自己責任っていうラベルを貼っているんじゃないんですかねぇ?
費用対効果があるのなら
助ける費用が、100万程度なら、テロを許してはダメだとか
言論の自由を
報道の自由を
人の命は地球より重いとか
とかいろいろな大義名分までつけて
やると思うけど。
原発事故?震災?の処理の仕方を見てみれば・・
原発事故?震災?
の処理の仕方をみれば、
自己責任論じゃなくても
ほかのいろいろな大義名分でも
コストの掛かることは、しません、出来ませんっていう感じになると思うよ。
もう、社会がそうなってしまっているところに、一部だけ例外とかもうけるのは難しいと思う。
今、必要なのは、大儀なんだろうなぁ
要は、自己責任論に変わる、大義が必要なだけのような・・・。大儀が美しければ、それなりの形を取っていれば、社会は正々堂々と見捨てられるのだから。
逆にこの件だけ例外にしたいという場合にも、多くの人が納得できる大義が必要だと思う。
イスラム国の件で言えばシリアに行く(シリア人ではない)日本人含めた外国人戦場ジャーナリスト、必要ですか。
シリア政府軍及び公式な従軍記者の報道は信用出来ないの?
日本人戦場ジャーナリストの記事、写真って結局兵士、市民、難民の情緒的な記事や写真で見れば迫力あるし泣けて気持ちいいよ。
でもそれだけだよね。
戦場ジャーナリストって本当に必要なの?
大儀らしきものを欲してるから、たぶん「必要か?」というものを持ち出しているのでは?と思う。
実際には必要であっても、助ける必要はないという話はあると思う。
助ける必要はないというのでなくても、どこまで援助?すべきか?っていう話もあると思う。
介護業界で、介護する人は必要だとしても
(アレコレ言われてたけど)
今ではこれ以上賃金をあげろとか言わないのと似たようなものなんじゃないの?
言われていないというのは嘘だとしても、実際に賃金が上がっていないのなら、言ってないのとほぼ同じ。
責任には、金がいるんです
社会が無責任になってしまうと、これを構成する一人一人の人間が逆に社会に対して責任を持つことを放棄しかねません。それでは、社会そのものが崩壊してしまいます。
極端な「自己責任論」の台頭、社会崩壊を招く? | JIJICO [ジジコ] - 毎朝3分の知恵チャージ
責任には金がいって、
その金は税金であって、
それを出しているのは、社会を構成する人々なんです。
その人々が、自己責任論をいいだせば
税金から出せるわけもなく、
また、そういう意向?を無視して、金を使えば
社会が崩壊するという論理も組み立てられるけど・・・。
結局、社会というのはその構成員の一人一人の意識から生じてるわけです。
小さな政府を目指す中で・・・
自己責任論は、小さな政府を目指す運動の中で発展したと思うんだけど・・・。
でもって、政府(社会)は、その責任論でコスト(赤字)削減してきたわけで、
その啓もう活動(教育?)で、人々がそういう思想が普通だと感じだし、
今の世の中になってると思うけどね。
小さな政府を求めたのも、
社会のコストがかかりすぎるから、または赤字になっているから
それを何とかしようという話だった気がする。
どっちが正しいかでは、問題は解決できないような
そもそも、どっちが正しいという問題ではないのでは?スポンサーリンク
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