俺がやらなくても、誰かもっと優秀な奴がもっと頭良くやってしまうのでは?と感じてしまう。
仕事先でも結局一緒。9割の非優秀という負債を1割の優秀な人間がなんとかしている。
優秀な奴以外は死ぬべきなんじゃね?
1割の優秀な人が売り上げの半分をたたき出しているとしても、ほか9割を排除するとどうなるか?って話なんですが・・・。
仕事の性質にもよるけど、意外と非優秀な人材もそこそこ必要なのは事実だと思う。ただ、その非優秀な人材を優秀な人材に置き換えればよいわけだけど、コスト(給料)的にあわないと思う。
優秀な人だけだと、たぶんAmazonから荷物が家に届かないと思うよ。
でも、Amazonから荷物が届かないと困るという現状がある限り、それにかかわっている人は必要だという論理も可能。
ただ、必要という論理は、替えがきかないという論理ではない。必要だけど、別にほかの人でも良いという状況は存在する。
優秀な人以外は死ねばよい
優秀の基準が難しいので、高卒の人には死んでもらうとすると大卒だらけになるわけです。
でも少しすると、また、優秀でない人人たちが目立ちだします。
で、こんどは思い切ってCランク以下の大卒には死んでもらうことにします。
でも、たぶん少し経つと、優秀でない人たちが目立ちだします。
「グッピー理論」とかもあるようだけど、そういうのは一切考慮せずに、優秀さは変わらないとしても、
そういうのは相対評価であるために、結局は上記のようになりがちだと思う。
もともとの思想が、「優秀な人以外は死ねばよい」というのは、共存とかと逆の発想なので。
無用の用という考え方もある
役に立たないように見えるものでも、かえって役に立つこともある。この世に無用なものは存在しないという教え。
『老子』には「埴をうちて以て器を為る。その無に当たりて器の用有り(粘土をこねて器を作る。器の中にある空間は一見無用に見えるが、その空間があるから器が作れるのだ)」とあり、『荘子』には「人は皆有用の用を知るも、無用の用を知る莫きなり(人はみんな明らかに役立つものの価値は知っているが、無用に見えるものが人生において真に役立つものだとは知らない)」とある。
「無用」とは、「役に立たないもの」の意味。
無用の用 - 故事ことわざ辞典
生きる意味とか価値と、優秀さとは関係ないのかも
生きる意味とか価値とか言いながら、社会の中での意味とか価値とかとなっているような気がする。
社会にとっては優秀な人は必要だからという論理が正しいとして
だから、生きる意味があるという感じになっているような・・・。
社会にとっては必要だけど、生きる意味がない人だっているかもしれない。
たとえば、重要な遺伝子を持っているという意味で、社会として必要だという論理が成立しても
それが生きる意味につながるかというと、そうでもないとおもうけどなぁ。
社会とか人類とか・・
企業が生き残る戦略は、必ずしも従業員が生き残れる戦略ではないということ。企業が生き残れるのは、優秀な人がいるからなのか?それとも優秀なビジネスモデルなどもシステム的なものがあるからなのか?なのですね。
優秀でない人は、生きていても仕方がない
僕はそうはあまり思わないんだけど、どこかでそう教育されたか、洗脳されたか
または、つくられた物語をしんじてしまったか?
とかいろいろなケースがありそうな気はするけど。
逆に、非優秀な人のほうが多いわけなので、
優秀な人を奴隷にして、非優秀でない人たちが幸せに暮らす社会もありなんじゃないの?とは思う。
優秀な人は、神から社会に貢献するための頭脳を与えられているのだから、貢献するのは当然とかそういう論理を導入して・・・。
実際に、優秀な人は搾取されていないのか?奴隷扱いされていないのか?といえば、そうではないとおもうけどなぁ。
だって資本家や権力者のすべてが優秀な人なわけはなく、で利益の配分はどうなってるんですかね?
もちろん優秀の定義によるわけですが、しかし定義の問題でないのは明らかだと思う。「金儲け、金の回収のうまい人」と「優秀さ」とは別の物差しなんだから。
スポンサーリンク
コメントを残す