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同グループの仲の良い男女同士が「1年で一番キモいやつは誰か」について話していた。なぜだかは知らない。>はー、学校つまんね。社会に出ても続くのこういうの?
話があっちこっちに行ったり来たりしながらも
その中のひとりが「 やっぱさ、一番キモいのは◯◯じゃね?!ww」と、いきなり大きな声で言った。
◯◯くんが同じ教室にいたの知っていたはずなのに。
とにかくそういう話を嬉々としてするあいつらのことが僕は大嫌いで だがしかし正面切って「そんなこと言っちゃダメだよ」と言う勇気もなく
そこに目をつぶって彼らに迎合する気なんかは毛頭なく
「こいつらと仲良くなるのはやめとこ……」と内心思いながらあいつらをさりげなく避けながら
ちっちゃくちっちゃく、やっていくんでしょうな。だってそうすることしかできないから。
人の顔を「キモい」って言う人が嫌い。
その心配をするよりも、「偽善者ぶってる人間が嫌い」とかの標的にならない様に注意したほうがよさそうに思う。
まあ、高校生ぐらいの年代って、子供なんだと思うんですね。だからそういう感じになってしまうと思う。
社会にでてもこういうのが続くのか?といえば
表面上は続かない。でも結局は似たようなことは行われている。
表面上は続かないのは、子供から、大人になったからだと思う。でもって、似たようなことが行われるのは、人間の本質はあまり変わらないからだろうなと思う。
基本的に、強者->弱者に対して行われるのも、にたようなもの。
何処にでも、イヤな奴はいる
この難しいところは、立ち位置によって、嫌な奴が変わる可能性があるということなんですね。大人たちも人間関係に悩んでいる人が多いわけですが、まあ、要約すれば嫌な奴がいるっていうわけです。
私を含めて、人間関係に悩んでいる人は多い。本書では、インヴァリデーター
(Invalidator)を「イヤな奴」と表記している。これは、直訳すれば「相手の価値
をおとしめる人」という意味をもつ。著者は、具体的には、次のような意味をもつ
語として使っている。
相手をイヤな気持ちにさせる人、相手を傷つける人、相手をけなす人、相手をお
としめる人、相手の心を破壊する人、相手の自尊心を攻撃する人、相手をさげすむ
人、相手を陥れる策略家、相手をいじめる人。
本書では、“嫌がらせ”が、なぜ存在し、どのような働きをし、どこから現れる
のか、そしてそれを何と呼べばよいのかについて学ぶことができる。一番重要なこ
とは、それが日々の生活や人間の自由、そして幸福を追求する姿勢に対して、どれ
ほど悪影響を与えるものかを理解することができる。
ジェイ・カーター著『どこにでもいる「イヤな奴」とのつきあい方』
集英社インターナショナル、2004.5.11、1300円、<人にコントロールされずに、本当の自分を取り戻す方法>【お勧め度】 ★★★☆☆
翻訳みたいなので、日本だけでなくて海外でも似たようなものなんでしょう。人間関係なんて・・・・
偽善者ぶってる人間が嫌い
今回の事例でも、このロジックで正当化して、人を貶めることは可能だと思う。俺たちも悪いかもしれないけど、偽善者ぶっているお前のほうがもっと悪いという感じで・・・。
本当は心の中では、キモイって思ってるんだろう?とかそういう感じで、論理を組み立てていけば、たぶん可能。
論点のすり替えとかも使いながら・・・。
社会にでてもこういうことが続くのか?という問いに答えるのに必要な考え方だと思う。
社会でも、正しいことを言う人が強いわけでもなく、また弱者が強者にしいたげられている構図も少なからずあるという状況はどうかな?って言う話。
はー、学校つまんね。けど、社会はそんなにつまんなくないと思う
学校という世界は狭すぎて、閉鎖的すぎるんです。また年齢も偏っているので、多様性にも欠けるわけです。その点、社会は広く、またある程度、自分とあった人たちと触れ合う機会ができるという点で、違うかと思います。
恵まれた人は、自分の価値観にあった人だけと接して生活することも可能です。
だから、一部の人は、大人になればそんな低能?なことをする人も、いう人もいないという人が出てくるわけです。
でも、それは社会の一部であって、全てではないというだけの話です。
高学歴な人は、表立ってそういうことをしない傾向にはあると思うので、そういう人たちが多いところへ行くようにするのもひとつの方法だと思う。
しかし、高学歴でも嫌な奴は、当然いる。ゲスいやつも当然いる。
そのあたりは主観で、表立って綺麗なら、Okだという価値観と、いやいやその心根も大事でしょうという立場では、見える世界が違うとは思う。
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