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自分「(いや、それはちゃんとさっき報告したつもりだったんだけどなぁ。
あれじゃ伝わってなかったか。。だけどここで『自分では報告したつもりです』とか言ったところで
ただの言い訳だしなぁ。。。)・・・」←無言
上司「おまえってホント駄目だよな。○○はわかってる?」
自分「(いくらなんでも○○はわかってるつーの。舐めるなよ(ムカムカ)」←無言
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↓その結果
上司はこいつは何もわかってないと難しい仕事は回してこなくなるし、俺もモチベーションは下がる。
仕事のクオリティは下がって最初に戻るの悪循環。
仕事で言い訳しないことがむしろダメな気がしてきた
「言い訳」と「説明」は違うというのが、正解?と思っている人たちは、もうその時点で、「管理されやすい人間」の一人だと自覚するべきなのだ。
そんな区別なんか関係なく、言いわけでも説明でもなんでも、「交渉」と言う観点で、いろいろ行えばよいだけなのです。
正しさが自身にある時は、「説明」であって、「言い訳でない」とか思うのは、事実そうであっても、上司がそう思うかどうかなんてわからないんだから。
そもそも、「説明」か「言い訳」かなんて、区別することに大して意味はない。
「言い訳が上手い(弁明が上手)」ということも、ある意味、武器になり、それで状況を打開していっている人たちもいるのだから。
不当なことをいう上司に、けん制することも、時と場合によっては有効でしょう。それも、相手次第ですよ。
「説明」なのに、「言い訳」というレッテルを張ってくる上司だっているんだから、その点から見ても、そんな観点、無意味だということがわかると思う。
まずは、何をしたいか?という目的を考えてて、手段を選べばよいのです。
「自己の責任を回避したい、正当化したい」という目的も、別に悪いことでは全然ない。
まあ、たいてい、「責任」というものを、実情よりも重く感じさせてる場合が多いんだから。引用先の例なら、(たぶん)上司もたいがいダメっぽい感じがするけどな。まずは、言動が指導(教育)にも、注意にもなっていない。
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「管理されやすい人間」を社会が教育という名で作ろうとしているかもしれない!?
会社や組織、上司は、管理しやすい人を望むので特にそうなるでしょう。「言い訳するな」と言葉で教育されたというのは、教育なのか?ということです。教育という名の管理かもしれないということです。
そもそも、教育で管理目的である場合は、たいてい、無条件に言い訳するなとか、暗黙か無意識か不明だけど「無条件に」という言葉がつくんですね。
そういうので見分けがつくかと思います。なんでも、時と場合によるのは、明らか。
感謝する気持ちとかも、似たようなものだと思うけど。
感謝はするけど、それと今回の話は別とかそういうのは、多々あるけど、管理するという目的化においては、そういう考え方をされるのは邪魔なんで、教えたくない(とかなんじゃ?)
まあ、他人のことはとりあえずはどうでもよくて、自身が思い込みで行動を制限されて、不幸になることは、少しぐらいは避けれるのでは?
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