なんか、これ以上書かないほうが、僕の場合はよさそうなんだけど・・・。
はてなの虚構新聞への憎しみは理解できない。もう謝罪から一週間近く経つのに虚構新聞とタイトルにある記事に憎しみのこもったブクマがつきまくる。■なぜ削除したのか?
はてブは異常なサイトだ。
虚構新聞の社主が自殺すれば満足なんですか?
抗議があったというのはわかるが、それ以外が僕にはあまりよくわからない。
抗議が不当だけど、削除したと仮定しても、なぜ削除したか?です。
■謝罪?
どこに対して、なにを謝罪したのか?
※記事後半の引用の内容では、読者に謝罪しただけということになってるようなんだけど。
■問題の争点はどこ?
嘘と明確に書いてるので、嘘だと信じる人は少ないだろうし、また信じる人のほうがダメなんじゃないの?というのも、ある一定の条件を満たせば正しいと思うけど、それは、事実だと誤認されないという問題だけOKになるだけで、ほかの問題は依然残ったままだと思う。
■善意と悪意とを使い分けすぎでは?
解釈が都合よすぎる感じがする。
例えばだけど、悪意をもって虚構新聞を書くことも可能なわけで、批判?している人たちの一部が危惧してるのはその点ですよね。
■嘘の種類
・事実に基づいた嘘(事実に基づいたフィクション) =風刺??
・事実さえない嘘
この2つでもかなり違うと思う。
宇宙人の死体が発見されたとかその手のニュースは風刺とは言われないでしょう。
■そもそも、虚構新聞は今後どうしていきたいのかわからない
前の記事にも書いてるように、虚構新聞から疎遠になってる(つまりはほぼ読んでない)のでわかりませんが、虚構新聞を擁護したい人は、虚構新聞の意向をまずは確認したほうがよいかと思うけど。
好きなものを批判されて平気な人はいないけど、擁護という目的なら、確認というか意向はどうなのかな?と考えてみるのは悪くないと思う。ただ、好きなものを批判されて気分がわるいという話なら、まあ、批判合戦をするのもよいかと思う。
この場合を考えてもわかるけど、批判という形をとってるけど、嫌悪(憎しみ)の表明だったりするわけで、言葉(文章)というのはそんなに単純明快なものではないと思う。
表面通り(言葉どおり)でないからこそ、風刺?とかユーモア?が存在するんだと個人的には思う。
問題点を整理
・日本ユニセフ協会の抗議は、許容範囲かどうか?・虚構新聞の今回の表現は、許容範囲かどうか?
どう整理するかは各自の自由なんだけど、整理しないと拡散するだけで、結局、なにがなんだかわからなくなってくると思う。
戦う相手
たぶん、擁護したい人たちは、今回なら、「日本ユニセフ協会の抗議」と戦うべきかと思うあくまで抗議であって、「日本ユニセフ協会」のその他の行為については別問題と捉えて、一緒に論じないことです。
虚構新聞を批判する人たちと戦っても、個人的には有効な方法とは思えないと感じる。
そっちは、逆にあとから掃除すればいいだけでは?
批判する側は、戦う相手をあまり間違えない傾向にあるかと思う。しかし擁護する側は、すべてを相手にしてしまう傾向にあるかと思う。
戦う争点
争点も大事です。言論統制?とかその系統にするのなら、そうすべきでしょう。
選挙とかでも、分かりやすい争点で争うほうが断然有利な感じがする。
また、選挙では、相手の批判だけではダメで、ビジョンを示すほうが有利。
大義
争点と関係ありますが、大義らしきものがあるとよりよいでしょう。目的
本当は、この部分をはっきりさせておいたほうがよい。たぶん、弁護士的な立場ですね。もしくは、戦って何を勝ちうるのか?ってことです。
「言論の自由」を勝ち取るよりも、「虚構新聞」の存続だったり、今まで通りの運営だったりするのなら、そういう部分もはっきりさせたほうがよいでしょうね。
メモ
ブロマガとというのがあって、「虚構新聞友の会会報」があり、そこに個人的に興味深い内容が書いてあったので引用しておきます。ログインしなくても見れるので、引用OKだと思う。
■謝罪について
(2)「俺は間違っていない」という自己弁護を繰り返すだけで、謝罪文になっていない。たぶん、この文章を読む限りでは、(虚構新聞が好きな)読者に対しての謝罪であって、それ以上でもそれ以下でもないかんじですけどね。
→そもそも今回掲載した内容は「ご報告」であって、「お詫び」ではありません。今回の炎上によるアクセス過多で記事が読めなくなったり、批判の矢が本紙読者にまで飛んでしまったことについては「申し訳ない」と思ったのでお詫びしましたが、これは裏表のない協会に対して謝罪した記事ではありません。謝罪文として読めば、謝罪するには中身があまりにふざけているということになりますが…。
にもかかわらず、テレビにも多く出演されている某有名ネットジャーナリストの方が、「普段からおもしろくないうえ、謝罪文がクソ」とつぶやいておられて、「謝罪文と誤読したのか…」と思うとともに、そこまでの著名人が「クソ」という品性をかなぐり捨てた言葉をオープンな場で躊躇なく使っておられることに少し驚きました。
【第074号】虚構新聞友の会会報:虚構新聞友の会会報:虚構新聞チャンネル(虚構新聞社) - ニコニコチャンネル:社会・言論
■日本ユニセフ協会の抗議について
最後にご報告。今回の件について、ある弁護士の方が裏表のない協会に直接電話で問い合わせた結果をツイッター上で公表しておられます。それによると、今回の本紙記事について、具体的にどの部分が団体を貶める内容だったのかについて、担当者は黙秘。またこのやり取りを公にすることについても、「インターネットについての書き込みは止めてください」と返答があったそうです。「裏表のない協会」とかいう表現を使うあたり、微妙な気がするんですけどね。
ご報告その2。本紙当該記事削除と「ご報告」の掲載後、とある全国紙の記者さんから「今の食品偽装問題が片付いたら、次は裏表のない日本ユニセフ協会について取材を進めたい」とのことで、社主にも取材依頼が来ました。明日にも実際にお会いして、今回の経緯を含め、諸々お話しする予定です。
【第074号】虚構新聞友の会会報:虚構新聞友の会会報:虚構新聞チャンネル(虚構新聞社) - ニコニコチャンネル:社会・言論
これを、嫌味?と捉えない人のほうが少ないと思うけど、でも、そんな風に読み取るのは心外だということもいえるわけですね。
https://twitter.com/kyoko_np/status/403403257239711744
■僕はいいけど、周りの人は
また、今回の件について、社主本人に対する批判には耐えますが、一部で本紙愛読者を「虚構信者」などと呼ぶ人たちがいるのが悔しいです。「あのクソつまらない虚構新聞を持ち上げている信者もクソつまらない」、「あれで笑っているやつはよほどユーモアがない」といったコメントを読むにつけ、わざわざ会費まで払ってご支援いただいている会員のみなさんの肩身が狭くなっているのではないかと心配しています。個人的には、こういう表現方法は嫌い。
【第074号】虚構新聞友の会会報:虚構新聞友の会会報:虚構新聞チャンネル(虚構新聞社) - ニコニコチャンネル:社会・言論
メモ2
ノンフィクション「逆転」事件(ぎゃくてんじけん)とは、1964年に起こった傷害致死事件に取材した伊佐千尋のノンフィクション作品『逆転』(1977年刊行)の中に実名で記された人物(本項ではAと呼ぶ)が、「知られたくない前科を書かれ、精神的苦痛をこうむった」として、慰謝料を請求する民事訴訟を起こした事件。
この最高裁判決は、「前科等に関わる事実を公表されない法的利益」と、これを公表することによって達成される表現の自由のどちらが優越するのかという利益衡量を論じる際に、しばしば引用される判例である。
本件著作は、上記目的のほか、Aら4名が無実であったことを明らかにしようとしたものであるから、本件事件ないしは本件裁判について、Aの実名を使用しても、その前科にかかわる事実を公表したことにはならないという被告の主張に対しては、本件著作は、原告ら4名に対してされた陪審の答申と当初の公訴事実との間に大きな相違があり、また、言い渡された刑が陪審の答申した事実に対する量刑として重いという印象を強く与えるものではあるが、原告が本件事件に全く無関係であったとか、原告ら4名の行為が正当防衛であったとかいう意味において、その無実を訴えたものであると解することはできないとした。
最高裁は、以上を総合して考慮して、実名を使用して前科を公表したことを正当とするまでの理由はないと判示している。
ノンフィクション「逆転」事件 - Wikipedia
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