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結局、ツールは大切にされない。共感を与える人間でさえも、ネットで安易に確保できるわけですから、大事な人間にはなれないかもしれないということです。
ツール的な人間、お役立ち人間である限り、大事な人間にはなれない。
ならどういう人間だったら大事にされるのか。共感を与える人間だと思う。
ネット上でも共感的な話はよくされている。
ぼっちなのがつらいという話。
彼女が出来ないのがつらいという話。
失恋したのがつらいという話。
ブサイクなのがつらいという話。
就活がうまくいかないのがつらいという話。
職場がブラックなのがつらいという話。
https://anond.hatelabo.jp/20130313174126
お役たち人間が、Wikipediaがあるから必要なくなるように、共感を与える人間だって同じような物なんです。
共感を与えるというと聞こえが良いが、多くの人は、単に自身が都合よく共感できる人である必要があって、都合の悪い部分は必要ないんです。
代替えの便利なものができれば、そちらに乗り換え、今まで都合の悪い部分を我慢していたのに、今度はその都合の悪い部分を逆に批判対象として使ってくるわけです。
わたしとわたしの作ったもの違いはない
「わたし」が求められるより、「わたしの作ったもの」が求められる方が嬉しいという人も居ると思う。共感される人=私
https://anond.hatelabo.jp/20130313174126
共感=私が作ったもの
また、共感されると、それ以上を求めてくる人たちもいる。「私の共感」を自分たちの都合の良い共感に置き換えようとする人たちである。それは、「私という個人」を浸食し、「私という個人」を消そうとする行為でもあると言えよう。
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ネットが人間性を奪ってるのか?
ネットは所詮ツールです。ツールが人間性を奪うことは本来ありません。ツールは何かを加速させることはあります。ただし、世の中が、人々が望まない方向にはなかなか加速することができません。
人間性を奪っているのは、人間自身であり、あなた自身かもしれないということです。
役に立つ、役に立たないという区別でさえも、多くの人から人間性を奪いかねないのです。
役に立つが、共感に変わろうと、何かの目的でしか存在できないとしたら、人間自身がツールに成り下がっていくのです。
双方向
自分の語りたい内容にどんどん脱線していってうんざりなところがあった。気持ちはわからなくないが、相手のうんちく話を聞くのも、知識を提供してもらう代償みたいなものだと思う。
https://anond.hatelabo.jp/20130313174126
代償というとGive&Take感があるが、それは「感謝」というもののひとつです。
コミュニケーションは、一方向であるものでなくて、双方向である。共感であってもそうである。
でも、その共感にも一方通行性を求めがちな人が多い。
必要な知識だけを求めていたように、必要な共感だけしか求めないという傾向です。
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