体罰をふるう方も心を痛めている

  • 投稿 : 2013-01-13
  • 更新 : 2014-07-01

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体罰容認論を完璧に論破できる12のQ&A
高校のバスケットボール教師が生徒を30発、40発殴って、自殺に至らせた事件がありました。ただ、こういう乱暴な教師はいるのだろうな、とそれほど驚きはなかったのですが、それより驚いたのは、マスコミ、世間一般にも体罰を容認する声があるということです。正直、「え?本当に同じ文明人なの?」と愕然とした気持ちになりました。しまいには、子供やその親を「軟弱だ」とか「ケアが足りない」と攻める論調すら出てきています。
そこで、体罰容認論によくある擁護論にまとめて反論してみました。世間の人の言う「ある程度の体罰」でも「子供のためを思った体罰」でも、教育に体罰は認められません。
そもそも、すべての体罰容認論は、次の一言で論破できます。
https://anond.hatelabo.jp/20130113151019

体罰をふるう方も心を痛めている

体罰をふるう方も心を痛めている、実はつらいんだという人もいますし、実際そういうこともあろうかと思います。

しかし体罰を受けた側が自殺するケースは多々ニュースで見かけても、体罰を与えた側が苦しんで悩んで自殺したというニュースをいまだかつで見かけたことがありません。

体罰ですくわれた人たちもたくさんいる

しかし、自殺した人もいます。

結果だけでは、方法や手段が正しいと証明できないこともわかっております。

自殺する人は、問題から逃げるような心の弱い人たちだ

そういう部分もあるかもしれませんが、自殺者が出ている現状でも体罰を容認して、その問題に向き合わない態度は、問題から逃げているとは認識しないところは、すごいと思います。

体罰容認派を説得するのは難しい

現状維持であったり、過去の価値観を守る人たちなので、一般にそういう人たちの説得は大変難しいことがわかっています。

問題が発生しているのに、何も変えないでよいというのは、これからもその問題を発生することは許容するという態度なのでしょう。その路線の人に、何かを訴えるのは無理だと思います。

その路線の人たちは、容認しない人からみれば、言い訳にしか聞こえないわけですね。でも当人たちは、いいわけだとは思ってないと思います。

容認しない側が論破してると考えている論理も同様に、容認する側からすればそうでないと思ってるのです。

問題を解決したい場合は

問題を解決したい場合に、弱者(立場の弱いもの)に原因を求めるのは、たいていは問題解決にはなりません。理由は簡単で、社会に対して立場の弱いものの影響力が小さいからです。

この手法は、物事を隠ぺいして問題なかったかのように処理するのには効率的だということはわかっていますが、今後も同じことが起こりうることもわかっています。

体罰を振るった指導教官にも責任がありますが、この部分にとどまっても同じなのです。指導教官も、自殺者が出た今となっては立場の弱いものなのです。

ただ勘違いしてはダメなのは、ほかに悪い人たち?が出てきたとしても、この指導教官の責任の重さはあまり変化しないということです。

いうなれば、結果として体罰を許容している社会も十分悪く、またその構成員の人たちも十分悪いというわけです。


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