プログラマなら「謹んでお悔やみ申し上げます。」を気軽に使うな

  • 投稿 : 2012-01-12
  • 更新 : 2014-07-01

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近年、有名人などが亡くなった際に、亡くなった方の属する宗教・宗派が分からないのに、気軽に「ご冥福をお祈りいたします」というフレーズを掲示板やコメント欄などに書き込む人が多い。

「ご冥福」などという教義依存(環境依存)な言葉を持ちださなくとも、「謹んでお悔やみ申し上げます。」に言い換えれば良いだけの話だ。
プログラマとしての自負があるのであれば、「ご冥福をお祈りいたします」は気軽に使うべきではない。
https://anond.hatelabo.jp/20120107142642
ぶっちゃけ、よく怖くないな、と思う。「お悔やみ」というのは、くやむこと。単純にいうと不幸ごとという捕らえ方なのだ。しかし宗教というものは多種多様で、亡くなったことをめでたい事だとして祝うこともあるのだ。再度、出直すという意味でめでたいことだととらえられ、喜ばしいことしてとえられている。その証拠に、神前に鯛を供えている。

プログラマなら、教義依存(環境依存)についてはよく考慮しなければならない。汎用的で一般的だなんて思い込むことは非常に危険なのです。慎重なプログラマなら事前調べをするか、「このたびは・・・」と言葉にもならない言葉で濁すべきなのだ。確実でないことを信じてはいけないのだ。

しかし、プログラマーでないその宗教を信じている人たちは、「謹んでお悔やみ申し上げます。」といわれても平気です。その根底に流れる心を理解するからです。プログラム言語は心を理解できませんが、人間は心を理解できるのです。

プログラマーなら、適応範囲にも考慮する必要があります。プログラム言語に適用すべきことを、世間一般に適用するのは、プログラマーとしても失格なのです。

また、それも一種の環境依存とも考えられます。環境依存も適用範囲も考慮できないプログラマーは、プログラマーとして終わってます。


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