マナーは他人を馬鹿にする道具でなく、他人とうまくやるためのルール

  • 投稿 : 2011-08-11
  • 更新 : 2014-07-01

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「リテラシーを身につけましょう」とかうさんくさい啓蒙主義的態度より
こういう風に「これ読んでわからない奴は馬鹿だよねー」って他人をくさすツールとするのが
「りてらしー」の正しい使い方って事なんだろうね
https://anond.hatelabo.jp/20110811001306
人にもよるのでしょうが、あなたは特別な人ですというのが好きな人が多いと思います。あなただけにサービスしますとか、あなただけに教えますとか。

その延長で、人は人と区別して自分が優位であったりすぐれてることを意識すると快感を感じるのかもしれません。その時に、リテラシーという横文字は便利なんでしょう。

リテラシーだけでなく、マナーや常識でも同様の使い方が可能なわけです。

ワイシャツの下に下着(シャツ)を着るのはおかしいとか、ポロシャツをズボンインしないのは恥ずかしいとか、ステテコの下に下着を吐くのは変だとか、親切に指摘してくれてマナーを教えてくれる人たちもたくさんいます。

ワイシャツの下には下着を着るべきなんでしょうか?
クールビズ ~ポロシャツをインするのはどうなんでしょうか?~

本来はこうあるべき(マナー)というのは正しいので、正しい指摘でしょうか?

どんなものでも、人に対する優しさや思いやりが必要だということで、ある意味、マナーやリテラシーは悪くないとは言えましょう。

常識やマナー、リテラシーの高さは、恵まれた環境でないとなかなかつきにくいという性質があるためどうしても人を見下したりする方向に残念ながら進みがちです。ある意味、恥ずかしい行為をしているのに、優越感を感じているという状態であることがわからないのは、悲しいことでもあります。マナーや常識を知らないのも恥ずかしいかもしれませんが、無神経に指摘したり、また杓子定規に適用する行為もまた恥ずかしい行為でしょう。

マナーというのは、本来、他人とうまくやるためのルールなのです。その原点を忘れることは、マナー知らずよりももっと恥ずかしいことだと思わなければなりません。


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