親子の「しつけ」問題は、嫁姑問題に置き換えたら・・・

論理武装して、行動を改善しようとしない人は、個人的にはダメだと思う。

嫁と姑で喧嘩したときに、
喧嘩した後に、冷静に話し合う機会をもつんだといって
自慢げに話している「姑」さんがいました。

喧嘩した次の日に、論理的にどの部分が悪かったかを説明して、嫁に理解させて反省文を書かせるそうです。

これって変ですかね?
嫁の立場だったら、地獄だろうとは個人的には思うんですね。

なぜ地獄かと言えば、悪いのは「嫁」って言うことに固定されてるからです。
あと、仮に、嫁本人が悪い場合でも、多くの場合は本人は言われるまでもなく自覚してるので、よけい地獄ですよ。

こて、嫁姑になってるけど、親子ならどうって話ですね。
子供の立場だったら、しんどいだろうなぁというのはあると思うんですね。

なぜしんどいかといえば、悪いのは「子供」ってことで固定されてたら・・。

手段や方法の正当性なんて関係なくて、
弱者側の立場に立った時に、厳しいなぁと思う状況なら、たいていひどいことをしてると思ったほうが良いのでは?と思う。

弱者と強者は、対等ではありません。
弱者には、自由意志があるようで、実際にはかなり制限された「自由意志」になります。

子供に冷静に話してきかせるとかいて自慢している親もいるけど、なんか嫁と同じ地獄をみてそうで怖いです。

大人に置き換えたら、できないことは・・

「あれはカッとなって壊したのではなく、あくまで子供達との“約束”だったんです。我が家では子供達は自分のスケジュールを自分で決めます。そしてそれを守らなかった時のルール(ペナルティ)も子供が自分で決める。DSに関しても長男が自分で『今度ルールを破ったら折っていいよ!』と言ったんです」
“大炎上中”高嶋ちさ子が初めて明かす「ゲーム機バキバキ事件」の真相 (週刊文春) - Yahoo!ニュース


・スケジュールは、親の意向なしには決めれない
・ルール(罰)も、親の意向なしには決めれない

しつけや教育の一環だとはおもうけど、子供が自発的にしている部分はどの部分っていうのは重要だと思う。
子供が、子供自身のしつけや教育のために、ルールを設定するなんてことはないわけで・・。

妻に変更
妻との約束だったんです。我が家では妻は自分のスケジュールを自分で決めます。そしてそれを守れなかったときのルールも自分で決まるんです。スマホに関しても、妻が自分で「今度ルールを破ったら、折ってよい」と言ったんです。

で、約束通りスマホをおった「夫(僕)」が、DVじゃないと思います。
みたいなロジックが通用するかどうかなんですね。

妻への「しつけ」なんです。

嫁に変更
嫁との約束だったんです。嫁は自分のスケジュールを自分で決めます。そしてそれを守れなかったときのルールも自分で決まるんです。スマホに関しても、嫁が自分で「今度ルールを破ったら、折ってよい」と言ったんです。

嫁への「しつけ」なんです。

上司に変更
上司との約束だったんです。わが社では、本人がスケジュールを立てます。そしてそれが守れなかったときのルールも自分で決めるんです。スマホに関しても、部下が「今度ルールを破ったら、折っていいよ」と言ったんです。

で、本人が了承していますので、パワハラじゃないと思います。
壊す前にも、本人に再度確認し、書面で壊してよいとの一筆をもらっています。

部下への教育(しつけ)なんです。

「アメとムチ」を使った方法論の危険性も知っておくべきかな

これ、管理手法であって、教育手法じゃないんですね。

「しつけ」の中にも、管理的な側面と教育的な側面があるかと思います。

親の言うことをきかせて短期的に行動を制御するというのは、管理的な側面のほうが強いと思います。
将来困らないために、考えさせる、行動を少しずつ変わるように誘導するというのは教育だとは思います。

その方法が、短期間に結果がでているほど、教育じゃないという多くの人には納得しがたい一面があるかと思います。

で、自慢する人、勘違いする人の多くが、短期的に良い結果をただき出したりするので、周りの人もそれが教育成果だと誤解するわけですな。

アメとムチによる行動のコントロールは、前回紹介した「自律性」「マスタリー」「マインドセット」が考慮されていないからです

アメとムチは指導者の立場としては、短期的に子供に「して欲しいこと」をさせことが出来ます。
そして子供も、アメが貰えるなら、指導(親や先生)がして欲しいことをするでしょう。
ただ、その行動はアメ目当てであって、子供自身の欲求から行うものでありません。
間違った指導法「アメとムチ」


危険性というか、限界というのがあるよって話でもよいかとは思う。

過去の実績は、現在を肯定することには使えない

それは、価値観というのは時代に応じて変わっていくものだから。

愛情があれば、xxでないという論理は、もう崩壊してるので使えないとも思います。

愛情があれば、DVじゃない
愛情があれば、体罰じゃない
愛情があれば、虐待じゃない

姑(夫)が、嫁(妻)をしつけるとか、おかしい

なぜ、おかしいかと感じるかというと、対等だという意識が普通になったからでしょう。

短期間にそれなりの結果をださないとダメな状況もある

まあ、そういう時もあり
正しい手法を子供に対して使えない場合もあるとはおもうけど

その行為を、公の場で言うべきじゃないだろうなぁというのはある。

やってはダメかどうかは微妙なラインでも、
公の場では言うべきでないだろうなぁというのは、あるとは思う。


ゲーム機を壊す必然性があるのかどうか?

ウチも、とある事情でペナルティとして3DSを折ったのだがSNSには載せていない
しかし、修理を前提に割った行為は高島家と全く同じだったので
同じ教育方針の家があったんだなと、記事を読んで驚いた



虐待するような親でない限り、子供の物を壊して喜んでいる親なんていない
そして、この気持は親にならなければわからないんだよ
ドヤ顔で高嶋ちさ子の嘘を暴いた気になってる人の勘違い


体罰してた親も似たようなこと言ってたと思うけど。
お母さんも、たたくと心が痛むんだよって。

たんに、自身に酔ってるだけなんじゃないの。

この手の話は、必然性にあると思うんだけど、結局、それって価値観なんですね。

体罰を、一生に数回っていう感じで使う人と
体罰を、日常茶飯事で使う人とでは
価値観が違うわけです。

どちらも、必然性があって体罰をつかっているとかいうけど、
日常茶飯事につかうのはおかしいかどうかってだけの話です。

まあ、体罰は使わない人たちもいるし、僕もそう。

ゲームを壊すというのは、権力でいうことをきかせるってことだと僕は思うけどね。
暴力性の前にっひれ伏すって話で・・。

ものだと、暴力性に無自覚になるひとがいるような。

なぜ、分けて考えないのか?!

同じ教育方針の家があったんだなと、記事を読んで驚いた

高嶋ちさ子や私の子育て方法が正解か不正解かは誰にも判断できないが
少なくとも今回の件の高嶋ちさ子の行動は、上記ブログの探偵ごっこの推理は真逆であるということだ
ドヤ顔で高嶋ちさ子の嘘を暴いた気になってる人の勘違い



1.高嶋ちさ子はウソを付いてたかどうかの問題
2.高嶋ちさ子が親としてとった行動の問題
は分けて考えるべきなんだけど、ブコメとかのはてなの人は論理的思考ができないの?
はてなの人は論理的思考ができない人が多い?


うーん、元の文章も、その大元の文章も、教育方法と無関係に存在している独立した事象じゃないので、分けて考えられるものじゃないと思うんだけど。

嘘をついていない ->冷静過ぎて、怖すぎる
嘘をついている ->狂気過ぎて、怖すぎる

僕の感性では、そのぐらいの違いにしか過ぎないけど・・。

しかし、高島さんと共通しているところは3DSの修理のプロではないということ
割るときに「修理できるように」とは考えるものの、どの部品が重要なのかはわからないので
考慮しつつも割り方の正解はわからないわけだ
リプライで修理できることを知ったことを突っ込んでいるが親の視点からすると
割り方が正解だったことと、修理費が安いことにリアクションしているわけだ
はてなの人は論理的思考ができない人が多い?


論理的思考で、嘘をついてないと思える根拠になるんですかね?
まあ、嘘ついているのに違いないっていうところから、その根拠を導き出しているので、まあという部分はあるが・・。

スポンサーリンク

コメントを残す

メールアドレスは公開されません。
また、コメント欄には、必ず日本語を含めてください(スパム対策)。