社会は、ありのままでは受け入れてくれない

社会とか「職に就いてない奴はクズ、はたらけ」
無職ぼく「一理ある、はたらこう」

無職ぼく「募集を見ました、はたらかせてください」
会社とか「無職のクズを雇うわけがないでしょう、お引き取り下さい」
無職ぼく「なるほど一理ある、かえろう」

社会とか「職に就いてない奴はクズ、はたらけ」
無職ぼく「あれっ」
社会とか「職に就いてない奴はクズ、はたらけ」 無職ぼく「一理ある、はた..


主体性のない人は社会は受け入れない
主体性がありすぎる人も社会は受け入れない

人のよさそうな就活コンサルタントや
人のよさそうな人事担当にありがちなんだけど
「正直にありのまま話してもらう方が良いです」と言いだす人たちがいるんだけど
実際は、正直にありのまま話したら、不採用になるんですなぁ

社会は受け入れる側でなくて、切り捨てる側なんですよ。

社会は、社会に属さない人たちを恐れるのに
社会は、そういう人たちを排除しようとするんですね。

職についていない者は、クズなのか?

社会に属することが、一定の価値がある限りそうなると思う。

職についている&社会に属しているが、十分人間のクズだとレッテルを貼ってもよい人なんてごまんといるわけだけど、そういうクズとは単に性質が違うんですね。

「社会に媚びる態度」がない人たちを、社会は恐れて、クズのレッテルをはらないと社会を維持していけないという面があろうかと思う。

社会に属している人たちで、社会に媚びてない人なんてほんの一握りしかいません。
だからこそ、ねたみや嫉妬などの複雑な心理作用もあって、社会に属さない人たちをクズとして認識しないとやっていけないんです。実際の能力や人間性なんて関係ないんです。

ありのままに、社会が受け入れてくれたらステキだろうなぁ

マイノリティの人たちが、社会から排除されていることを差別だといい、差別をなくそうという運動をしてたりするわけですが、「排除しないこと」と「受け入れられること」とは同じものでないことが分かっていない人たちが多いと思います。

同じだと思っている人たちは、いつの間にか差別をなくす運動から、権利を要求する運動へと変化しがちだと思います。

別にそのことが悪いことではないと思います。だって差別されていない人たちも、ある価値観で集団をつくって、その集団の権利を要求する運動をしているから。

物分かりが良すぎると、社会から排除されるか、利用されるかのどちらかになりがちである

物分かりがよいというのは、社会にとって便利だということですね。

利用価値のある人は便利屋さんになるだろうし、
利用価値がない人は、排除されますっていう構図になるだけだと思う。

利用価値がある、ないというのは、本来の人間性とか能力とはあまり関係ない場合も多い。
一度レールから外れると、社会はなかなか受け入れないというのも、そういう部分を加速させてるとは思う。

まあ、大量生産される製品みたいなもので、
いちどケチがついたものにこだわるよりも、次のロットの製品を手に入れたほうがコスト安いって話だけだと思う。

人間は「もの」ではないが、
社会は、人間をものとしてあつかい、システムとして管理する機構という一面があるために、そうなるのだと思う。

社会に属するウザさを知っているのに・・・

でも、他人を社会に属させようとするわけです。
でもって、他人を社会というルールとか大儀とかをつかって、コントロールしようとするわけです。

自分自身は、ありのままが良いけど、
他人は、ありのままじゃ困るわけですな。

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