自殺はいけないことだという。目の前で誰かが自殺しようとしていたら止めようとする。それが友人や親類など知った人ならなおさらだ。無責任に自殺を止めてはダメとしたら、極論いえば、この世の中で自殺なんて止めれる人はいない。
でも例えば、その人が「仕事もうまくいかない、お金もない、この先自分の力では生きていけない、頑張っていく気力もない、だから死ぬ」と言った場合、それでも止められるだろうか。たとえばその人が「死ぬのをやめればあなたが養ってくれるのか?」と言い出したらどうするか。それでも自殺を止めて、その人のその先の人生に責任を持てるだろうか。
そう考えると、人が死ぬのを押しとどめるのはとても無責任なことのように思えてくる。死なれるのは嫌。迷惑だ。場合によっては悲しい。でもその人の面倒は見きれない。自分でやれ。たいていの人はそういう考えだろうし、それは間違いではない。どうしようもない。でもやっぱり無責任だ。
https://anond.hatelabo.jp/20130823112614
じゃぁ、どういう思想を導入すればよいの?といえば、たとえば「相手の人生に期間限定で責任を持てばよい」というのを導入すればよいのです。
今日1日、数日、1週間どれでもOKです。今日1日の食事や休憩場所も支援できないとかいうのなら、自殺を止めるのはやめたほうが良いしょう。
止めることに意味がある理由
死んでしまったら、生き返れないという事実があるからです。不可逆の性質があるものは、とりあえずでも止めることに意味があると思う。自殺を止めたけど、結局、自殺してしまった
自殺を止めたけど、結局、自殺してしまった。それも、最初に自殺しておけばよいと思うほど、苦しい状況に追い込まれて、そうなってしまった場合に、責任とれますか?ということを考えてみましょう。当然責任はとれませんが、責任を取る必要がないんです。
自殺を一時的にもやめさせるのには、本人の同意がないと無理なので、本人が選択して決めたことでもあるわけです。
いうなれば、本人にも選択した「責任」があるわけです。
自殺を止めるのは無責任で、止めるべきでないという考えも正解かもしれない
正解かもしれないんだけど、それを無条件で他人に押し付けるのはやめたほうがよいでしょう?同じ理論で、そのような考えを押し付けることに責任を持てるのか?と問いただせば、多くの人は責任を持てないというでしょう。
だから、自殺を止めたいと考えている人たちに、こういう考え方もありますよという以上のことをするのはやめたほうがよいと思います。
自殺を止めたいと思う人は
自身が、そういう行動をとりやすい論理を手に入れればよいのです。周りを納得させる必要なんてあまりなく、納得させるのは自身と、自殺する相手です。
人の考えは、変わることもある
私自身は、自殺を積極的に止めるべきではないという考えの持ち主でしたが、今はこの記事を書いてるように、とりあえずは止めるべきだという考えに変化しています。理念でさえも、変わることがあるのです。
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