「就職しない=サラリーマンにはなりません」という意味だと思うんですが、サラリーマン経験も価値があるんじゃないかなぁと思うわけです。
別にサラリーマン経験でなくても、経験ならなんでもいいと思うんですけどね。
たとえば、東京に住むことには意味がないってことで、地方のそれもド田舎に引っ越ししたとして、イイことずくめでしょうか?とか考えてみてくださいよ。
東京に住んでいるというだけでも、時代の流行を感じやすかったりするわけですよ。インターネット時代だといっても、情報とかのアクセスもやっぱり東京のほうがしやすかったりするわけですね。
でもって、そういう時代の流行を感じてブログを書いてるのだったら、ド田舎にひここもってしまうとそういうのを書けなくなる恐れがあるかもという危険性があると思います。
PV稼ぐにしても、大衆を相手にしたほうがPV数稼ぎやすいわけです。サラリーマンなんてどうしょうもないよねと煽ろうとおもっても、サラリーマン経験ないとあまりあおれないと思いますけどね。別に、煽るためにサラリーマンになれって言ってるわけでなくて、例えばの話です。
また、ブログで稼ぐといっても、商売的な感覚を持っているほうが有利でしょう。そうすれば、怪しげなリスクの高いことをしなくても済むかもと思います。別に、怪しげでリスクの高いことをして稼いでも良いと思うけど、その手のやり方って、焼き畑農業的になることが多いと思う。焼き畑農業でも、やり方を少し変えて、あやしいことを続けていけばいいけど、同時に信用とかステータスとかもなくしていってる危険性はあると思う。
下手に、簡単に稼げると、サラリーマンになるのが嫌になる
そういうのはあるとは思う。まあ、親が公務員やサラリーマンでなくて、商売をしてるのなら、実際に関わってなくても商売感覚などが養われてる可能性があるから、サラリーマンにならなくてもいいとは思うけど。
親がサラリーマン・公務員の人は気を付けたほうが良いと思う。サラリーマンじゃないけど、思想がサラリーマン感覚に染まってるはずだから。
サラリーマンには向いてなくて、絶対に無理だから
そういう人は仕方がないというか、選択肢があまりないので、頑張ってとしかいえないけど・・。そういう人は自身でよくわかってるから、あえて就職しませんとか宣言しない人多そうだけどね。インプットなしに、アウトプットしていけるか?!
ある程度の年代の人は、逆に新しいものをインプットしていけないので、まあインプットしたくても無理っていうのがある。また、インプットがなくてもアレンジしてマンネリだけど、アウトプットしていける人たちも多数いるとは思う。で、若者でインプットなしで、アウトプットしていけるか?なんですね。まあ、ブログよりももっと儲かることがあるのでブログやめました、ブログにアウトプットするのをやめましたというのはあると思うけど、でも本当はアウトプットできなくなってるんじゃないかなぁと思う。
若さの感覚で勝負してる場合は、年齢を重ねると若さの感性がなくなる
当たり前のことだけど、人は年を取るってことですね。いくら感覚が若くても、年相応の感覚になるか、
若いといっても、時代遅れの若さになるかとかになると思う。
若さというのは、時代を感じさせるという意味もあるので、時代遅れの若さは、年寄りとかわらない可能性がある。
プロブロガーってどんな人?!
ごめん、そもそも、どんな人がいるのかさえ知らない。ネットで見かける人は、なんか頭打ちしている人ばかりのような気がするけど・・・。
すごいとは思うけど、文章(内容)を読ませるみたいなのでなくなってても、ブロガーなのかなぁと思いつつ。
まあ、サラリーマン根性しみこんでいるので、僕には理解できない世界なのかなぁとは思う。
自由を手に入れたみたいなことを書いてるけど、
サラリーマンでないという自由は手に入れてるけど、
ほかどんな自由があるのかなぁというのも疑問。
非効率で、人間関係が煩いとかそういう不自由はサラリーマンにはあるわけですが、
でも、形をかえて同じ不自由さを背負ってないの?っていうのはあるんですけどね。
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