男女問わず、「増田は優しい奴だな」、「気の利く奴だ」とよく言われた。
個人的には、そうか?と内心思っていた。
興味がないから適当に評しているだけだと思って、特に気に留めることもなかった。
確かに気をつかってマメに世話を焼いていたかもしれないが、それが優しさからかと問われれば、Yesと答えることはできなかった。
俺は優しい人間ではなかった
優しい人間は、貧乏くじを引くように世の中がなってると思う。
よい人だ、優しい人だといって、矛盾を押し付ける相手に利用されるんである。
まあ、無意識に押し付けてる面もあると思うんだけど・・。
ネットでも、良い上司、優しい上司がいたとかいう人の話を聞けば、たいてい自身の矛盾を上司に押し付けてるか、解消してもらってるケースが多いと思う。
優しいって、便利に使えるとそうかわない気が・・。
俺は本当は、他人から弄られたり馬鹿にされたりするのが大嫌いだったのだ。
運動音痴で、体力もないから、へらへら自己防衛をしていたが、本当はそいつら全員ぶっこしたかったのだ。
俺は優しくなんかない。
俺は優しい人間ではなかった
優しさの定義によるのでは?
危害を加えるもの、陥れようとする人にまで、優しさを適用できる人なんてたぶんいないよ。
俺に彼女ができないのは、身なりや自信のなさではなく、もっと根本的なところに問題があるからだ。
なかなか会社の人間関係が上手くいかないのも、きっとそれだ。
筋トレを始める前の方が、人との付き合いはうまくいっていたのだ。
俺は優しい人間ではなかった
自己主張しないと、いうことの利く便利な奴っていうことで、居場所があるっていうのを、うまくやっていたというのならそうなのかもねと思う。
余裕からくる「やさしさ」っていうのもあると思うんですね。
たとえば、大手企業のまともなところに勤めてる人って、ある意味「やさしい」ですよ。それはなぜかといえば、余裕と余力があるからという面もあると思う。
でもって、ちょっと精神的に追い詰めてあげたら、本性が出てくる人もいるのはいる。たとえば、デスマに放り込まれるととか・・。
「腕力でその気になれば・・」という余裕とかオーラとかは、対人関係を良い方向に変える場合もあると思うけど。人間て卑怯なもので、自分より強い人間には面と向かって攻撃しない傾向にあるし・・。
あと、そういう余裕とオーラが大事なのは、いろんな人をみたらわかると思う。
本当に優しい人間になるにはどうすればよいのか
本当に優しい人間になるにはどうすればよいのか
俺は優しい人間ではなかった
やさしさの定義を自分なりにする必要があると思う。
でもって、やさしさの定義を上手にしないと、自身が望むものではない「やさしさ」になる可能性はあると思う。
本人は「優しい」と思ってるけど、周りの多数からはそう思われてないことも多々あるので。
やさしさの目的にもよると思う。人助け的な意味あいがあれば、結果として人助けにならないと意味がない。
あと、定義次第では、彼女ができない確率を上げる可能性もあるし、職場の人間関係がうまくいかなくなる可能性もある。
だって、聖人君子的な優しさを持つ人と、付き合いたい彼女とかいるかな?結婚したいと思うかなぁ?
たしかに周りからは立派な人だとか言われるかもしれないけど、家族としては迷惑ってことになりかねないと思う。
優しさは、利己的な面もあって、ある特定の人とか自身とかに向いているほうが、幸せになれる場合もあるでしょう。
気のせい、気づかなかったふりするのも一つの方法だと思う
本当の俺は、嫉妬深く、器の小さい、卑怯な人間だったのだ。
筋肉や柔道の技は、それを覆い隠しただけ。本質的には何も変わっていなかった。むしろ、弱いくせに武器を手に入れてしまって、迷惑な人間になっていたのだ。
俺は優しい人間ではなかった
自分よりも弱いものには、優しくしようとかに路線変更してもいいんじゃないかなぁ。
別に、困ってもいない人にまで、優しくする必然性なんて僕はないと思うけど。
周りの人間で困ってる人なんてそんなにいませんよね。
あと、自身を踏みにじろうとしてくる人とかは・・・。だって、自分より弱いと思って(思い込んで)、矛盾を押し付けようとしてるんだから。
そういう人には、そういう行為は良くないってわからせる「やさしさ」も必要なのでは?という大義名分でも作れば問題ないと思う。
「暴力」か「やさしさ」も紙一重なところがあると思う。「やさしさ」溺れさせて、人を陥れたリするほうほうだってあるわけだから。
それでも、本当に優しい人間になりたいんだ
ごまかしなく、そういう人間になりたいと思うのなら、それはそれでいいのではないかと思うけどね。ただ、そういう人間になる前に、人とうまく付き合えないと、意味をなさない気もする。
極論、どこかの山や寺にこもって、優しい人間になる悟りを開くってことは可能かもしれないけど、現実世界に戻ったら、その優しさを発揮できない、使えないのでは、本物なのかなぁと個人的には思う。
まあ、自己啓発セミナーにいってもそういう状態になるんだけど、それは偽物っぽいなぁというのは世間の多くの人は思うと思う。でも、設定をすこしかえると、そうはなかなか思えないとかもあると思う。
それに気が付いた俺は、情けなさにちょっと泣いた。
俺は優しい人間ではなかった
自身のために泣ける人より、他人のために泣ける人のほうが、優しいのでは?と思う。
近頃他人のために泣ける人って、少ない気もするけどね。泣いているふりできたり、泣くことで何か別の目的に利用する人たちならいるけど、純粋に悲しんで泣いてる人っていないような。
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