…なんてことを言う人がめっきり減ったように思う。
既に気付いてるんじゃないか、見ているのは「悪いところ」だけだってことに。
「いいところ」なんて誰も見ないか、見ているのは自分にとって何の影響力も利害関係もない人だけだ。
どいつもこいつも人の悪いところばかり見て、つまりあら探しばかりをして、足を引っ張ることしか考えていない。
「見ている人は見ているから腐らずにがんばれ」
信仰みたいなものなんじゃないかなぁと思う
もしくは、祈りのたぐい。
あと、そういう「優しい言葉」をかける行為自体に意味があるという部分もあると思う。
信仰なんで、信じない人には意味をなさない。
また、信じたからといって、かならず結果が出るわけではない。
信仰が、生きる糧になるように、
モチベーションの維持とかには役立つとは思うんだけどね。
「腐ったら負け」とかいうほうがまだ納得しやすいかも。
しかし、これでさえも、腐らず生きていても、結局はなにも良いことなかったよということになったりすることもある。
だって世の中は、理不尽にできているのだから。
理不尽にできているからこそ、理想や信仰、祈りが必要っていう話はあると思う。
あと、
・努力は必ず報われる
・見ている人は見ているから腐らずにがんばれ
の精神で頑張っている人をみて、心を動かす人たちもいるわけです。
なかにはですね、そういうのが邪魔、または見るのが気に入らないという理由で
つぶしたり、嫌がらせしたりする人たちもいるわけだけど
その現象を見る限りは、なにか心を揺さぶるものがあるのでしょう?
・・・
「見ている人は見ているから腐らずにがんばれ」これはしょせん自己の気の持ち方の話なので、事実がどうだとか言い出すのはナンセンスだし、こう言う奴に「腐らず」は無理という実証でもある。
2015/12/16 11:11
「見ている人は見ているから腐らずにがんばれ」他人には期待しない方がいい。「誰も見てくれない。ならばどうするか。」って考えたほうが絶対いい。
2015/12/16 09:55
どっちも微妙に、僕の感性とは違う気はするけど・・。
いろいろですな。
信じたいものを信じて、生きていけばいいんじゃないかなぁと思う。
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