あのころみたいに誰も読まない前提で
いや、そっと見ていてくれる人がいる前提で
思ったことをこっそり書けた方がよかっただろうか
誰も来ないブログを誰も見ない前提で書いていた
ブログに限らず、人も迷走すると思う。
なりたい自分と、求められる自分みたいな感じで、
ちょっと評価されてチヤホヤされると「求められる自分」を演じだすということになると
幸せな状況にはあるんだけど、なんか違うかなぁという違和感や一抹の不安を感じてしまうとか
そういう感じのことが・・・。
誰も来ないブログを誰も見ない前提で書いていた言い寄ってくる人はたくさんいるけど、目当ての人は去っていく感
2015/08/11 01:52
こういうの。
本当の意味でほしいものを失ってしまった感。
欲がでると、何かを見失いやすいと思う
誰も来ないブログを誰も見ない前提で書いていた一部の共感してくれる人が居てくればいいって感じなのかな。気持はわかる。私もそんな気持でブログやってるから。でも、時々欲が出てくる。
2015/08/11 08:40
もう戻れないけれど
誰も来ないブログを誰も見ない前提で書いていた
元には戻れないというのはその通りなきはするが、
軌道修正をすることや、方向性を変更していくことはできると思う。
ブログの場合、全体での統一感をあまり求められないので
しょうしょう異質な記事が混ざっていても、大丈夫とかそういう抜け穴みたいなところもあるとは思う。
どこかに、面影が残っていれば・・・
誰も来ないブログを誰も見ない前提で書いていた
- [ブログ]
無名ブログを発掘してウォッチしている人たちがいて、たぶんインディーズ音楽とか映画祭に似たようなおもしろさがあるんだと思う。だからホッテントリに入った時点でその人の興味から消えてる。
2015/08/11 01:12
僕自身も無名ブログが結構好きなんだけど、
なんか人気になって、記事の書き方とかが明らかに、あざとい感じになってくると
心が離れるかなぁと思う。
マイナーが好きっていうわけじゃなくて、あざとくない感じが好きだったというのがあるのかもしれない。
読み手の存在は大事
誰も来ないブログを誰も見ない前提で書いていた"基本的に、ブログは一人に向かって書くのが良いと思っている。第三者向けに分かるよう着飾ってアウトプットするけれど、伝えたい相手はたいていただ一人だと思っている。"まなめはうすより
2015/08/11 12:20
読み手というか、
誰に対して書いているかという意識は
かなり文章の味付けに大きな影響を与えてくると思う。
文章が自分好みにかけないときは
想定している「読み手」を変更してみるというのは
簡単でかつ有効な手法だと思う。
批判ブログが、中傷ブログにならないのにも使えると思う。
批判する対象・人を変更して書いてしまえば、中傷にはなりにくいってことです。
そういう変更をしても批判なら意味を通じるようにかけるはずということもあろうとは思う。
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