ただ、的が外れているコメントの相手をして、泥沼に陥ることが怖いだけかとは思う。
泥沼に陥る一番多いものは、
論旨をすり替えられて、相手しているうちに、自分自身でも何が言いたかったのか分からなくなるパターン。
巧妙な主張は、主題をわざと分かりにくくしている
近頃は、みんな正義ずら(大義ずら?)するので、
文章が、柔らかい割には、なんか変なんですよね・・・。
僕はたまに増田で文章を書くんですが必ずといっていいほど的外れなコメントがつきます。
ツッコミどころはそこじゃないだろう?本質・言いたいことはそこじゃない、という部分に執拗にツッコミを入れるコメントをしばしばみます。
たとえば、
北海道の旅行に行って海鮮丼を頼んだら売り切れだったからいくら丼を食べたんだけど、店員がイイ人でサービスしてくれた、
って書くと、旅行は北海道より沖縄だよね、海は綺麗だ、みたいな感じの頭の悪いトンチンカンなコメントが頻繁につくんです。
https://anond.hatelabo.jp/20141213010419
ホントウは、的を得ていないが、
的を得ているかのように見えるコメントや論調の方が個人的にはどうかなぁと思います。
あとは、元の文章もコメントと同じぐらい問題だと思う。
上記の引用の文章だと、
たぶん、コメントの内容を抑制?しようとする意図を感じる人たちがいて
それに対して、コメントは自由につけていいものだと主張したり、
その主張をみて、
公開されているんだから、好き勝手にコメント書いていいわけないだろう
みたいな、感じで、展開される場合において、
果たして、本質をとらえていないのは誰なのか?というのは難しい話になりそうな気がするけどね。
元の文章は、単に「的外れなコメント」について書かれていて
こうすればよいとかいうアドバイスと
まあ、頑張りたまえ
という感じで書かれてるだけなんですね。
確かに文章はそうだけど、
文章全体から受け取るイメージや、文意を考えた場合に、明らかにそうじゃないというのが問題かなぁと思う。
これは、コメント側にも言える話だと思う。
的を得ているかのように見える主張の本意とは?!
まるか食品のカップ焼きそば「ペヤング」に虫の混入が指摘された問題について、全国の中小スーパー223社でつくるシジシージャパンの堀内淳弘グループ代表兼社長は12日の記者会見で、「マスコミの取り上げ方はおかしい」と話した。命や健康にかかわる問題は「絶対にダメ」と述べたうえで、今回は健康被害が確認されていないことを踏まえて「面白おかしくとりあげすぎではないか」と話した。「命に関わるもの、健康に影響あるもの、健康被害のないもの、に分けて考えてほしい」と訴えた。また、問題が確認されていない商品もすべて回収する事態となったことについて「全部廃棄ですから、もったいない」と語った。
ペヤング報道「取り上げ方おかしい」 シジシー代表:朝日新聞デジタル
・取り上げるのが悪いとは言ってない ->でも事実上は?
・面白おかしく取り上げられている ->記事はそう? 読者の反応はどうだかしらないけど?
・ゴキブリなどの異物混入 ->保健所の見解は?
・健康に影響があるが、健康被害を確認できない場合もあることを利用している
・破棄=もったいない ->実際には、一個ずつ確認するより破棄したほうがコスト安
なんでも行き過ぎがよろしくない気はするけど、
だからといって、
大衆は馬鹿だから、情報は精査して、公開しなくてもイイものは公開するなという姿勢は
どうかなぁと思う。
結局は、大衆が馬鹿であろうと、なかろうと、消費者に選択権があるわけですよね。
法的に問題なければ、
該当分だけ回収して、販売を続けたらいいわけです。
消費者が、買わないのは勝手で、
消費者が買わない理由として、
・事実を正しく認識していないだとか
・マスコミが煽ったからだとか
そういう理由をつけだすのは、どうなんだろうかなぁと思う。
ただ、引用先の発言にたいして、ここまで勝手に推論して意図を読む行為は、
的をはずれているのかどうかというのは、
だれが決めるのか?話ですよね。
各自が勝手に思うのは勝手です。
元記事の発言者が、そんな意図がないというのも勝手です。
しかし、そんな意図があるかどうかなんて自己申告なんで本当かどうかさえ分かりません。
ということは、的を外しているかどうかはわからないと思います。
またクソかどうかということで
生産性のある意見かどうかなんだけど、
生産性というのも、価値観によって違うものだと思います。
そういう感じで、区別できないことも多いのを利用して、
的をはずれたコメント=空気読めてない、意図を読めていないと片づけて
排除するのはどうかなぁとは思う。
「的を得る」「的を射る」どっち?!
「的を得る」って誤用で、本当は「的を射る」なんだよと言う人のために・・・。#最近はいないか・・・。
「国語辞典」の事情に少しでも詳しい方なら皆ご存じだと思いますが、辞書の神様ともいえる見坊豪紀さんが編集した『三省堂国語辞典』の権威は極めて高いもので、その『三省堂国語辞典』が「的を得る」を「誤用である」とした影響は非常に大きなものでした。
私が見つけた範囲では、2000年以前に「的を得る」誤用説を主張した書籍や記事が、その根拠としてあげていたのも、この『三省堂国語辞典』に誤用と記載されていることでした。こうした書籍や記事がやがてテレビ番組で取り上げられ、大きな反響を呼んで2000年頃を境に全国に「的を得るは誤用」という「常識」が広まり、平成15年の文化庁調査でも「誤用の多い例」として取り上げられるに至ったと思われます。
見方を変えれば『三省堂国語辞典』に誤用の記載がなければ、根拠の薄弱な「的を得る」誤用説がこのように世間に広まることはなかったはずです。
その『三省堂国語辞典』の第7版が去年2013年12月発売になり、この新版から「的を得る」が採録立項されたのです。
【逆転】「的を得る」:「誤用説は俗説」と事実上決着へ: BIFFの亜空間要塞
『三省堂国語辞典』第7版では、従来「誤用」とされていることばを再検証した。「◆的を得る」は「的を射る」の誤り、と従来書いていたけれど、撤回し、おわび申し上げます。「当を得る・要領を得る・時宜を得る」と同様、「得る」は「うまく捉える」の意だと結論しました。詳細は「得る」の項を。
— 飯間浩明 (@IIMA_Hiroaki) 2013, 12月 15
スポンサーリンク
コメントを残す