管理教育(かんりきょういく)とは、学校(教員)が一元的に児童・生徒の在り方を決定し、これに従わせる様式の教育方法、ないしその方針である。主として、命令一下による集団行動の徹底に重きを置く。
管理教育 - Wikipedia
反省することが正しいことだと刷り込まれるのは、そのほうが管理しやすいからです。
「反省する人」と「反論する人」ではどちらが取扱いしやすいかをよくわかるかと思う。
世の中の成功している人の多くは、「反論する人」なんですね。もちろん、反省もするけど、そのベースとなる思想が違います。同じ反省でも違うってことです。
ルールを守る立場の人と、ルールをつくりだす立場の人では違うってことです。
反省に重点を置きすぎる人は、ルールを守る立場になるためにどうしても、他人や集団の犠牲になりやすい傾向にあるかと思う。
帝王学を教育されているわけではない
具体的には突き詰めたリーダーシップ論とでも言うべきものである。経営術や部下を統制する方法といった限定的なものではなく、様々な幅広い知識・経験・作法など、跡継ぎとしての人格や人間形成に到るまでをも含む全人的教育である。
また、いわゆる学校での教育という概念とは根本的に異なり、自分の家系を後世へ存続させ繁栄させる、という使命感を植えつけることを目的としている。
帝王学 - Wikipedia
庶民の親が、子供に帝王学系の教育を施すことはマレ。
集団で如何に上手くやっていけるかを教育するわけで、そういうのはどっちかというと、集団行動に重点を置いた考え方になりがちであると思う。
その「刷り込み」から解放されるのは難しい
洗脳と一緒で、そこからの解放は、理由などが分かっていても難しいと思う。で、解放されるためには、
自ら、新しい洗脳を施すしかないんです。
・自身の現在の主義主張に反しない考え方
・できれば自身の現在の主義主張を強化する方向の考え方
そういう考え方を導入して、行動を制御するべきかと思う。
法律に抜け穴があるように、
反省という行為にも抜け穴が絶対にあるはずです。
その抜け穴を利用して、大義をつくって、反省をしないようにすればよいわけです。
たとえば、
「世の中の為になる反省」と「自身の為になる反省」がある。
自身の為になる反省以外は、すべきではないとかそういう感じで、
自身の主義主張を強化する方向で行動を強制すればよいのです。
占いとか神を信じてる人は、意外と簡単だったりする
占いで、そういう反省をすべきでないと出ていたとか神は、そういう反省を求めていないとか
そういう論理を導入すればよいので・・・。
占いとか神とか馬鹿にしてる人も多いかとおもうけど、意外と便利な道具。
・・・・
ずっとそう信じてきた
だからネットの煽りに弱い
てかネットに向いてないと思う
論理的に反論されればそれを参考に
反省しようと前向きに考えられるけど
短文で煽られるとなんかもう自分って
生きてる価値ないんだなって、へこむ
だって絶対的に正しいはずの他人様を信じるしかない…
頭ではおかしいってわかってるのに
誰かこんな僕を鍛えてください
自分は必ず間違っている。他人は必ず正しい
頭でおかしいと分かった時点で、ブロックして関わらないようにするというのが多くの人たちがやっている手法だと思う。
あとは、楽しいことをして忘れることです。
その場合に、ネットがすべてだとか、ネットのその一部がすべてだとかの場合は、忘れることが難しいので厳しいとは思う。
それ以前に、
・正しさ
・反省
・成長
・人間性
他にもいろいろあるけど、
そもそもそんなものに、思っているほど価値がないんですよ。
価値ないものにこだわっても仕方がないけど、
だいたい、煽ってくる人たちは、そういう「一見価値ある」と思われるウイークポイントを利用してくる傾向にあるかと思う。
「反省しようと前向きに考えられるけど」とかそういう時点で、煽りたい人たちにウイークポイントを見抜かれてると思う。
そもそも、反省して前向きに考えても、
その行動を起こす前よりも、どの程度変化したか?を考えれば
なにも変わってないことの方が多いと個人的には思うんだけど。
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