人の幸せを素直に喜べない、
人のアラばかり探して不幸を喜ぶ、
人を見下す、
自分の利益のためなら人を平気で利用する、
自分が意地汚くて卑しくて生きるのがつらい
人の幸せを喜んでいるように見えて、その実態は人の幸せに関心がないだけというオチもある
つまり、自身が幸せすぎて、他人の幸せもついでに喜んでおこうっていう話
人の不幸は蜜の味というのは、昔からある話で。
人を見下すかどうかは、権威主義的な面があるかどうかだけの話だと思う
見下すかどうかは別にして、人間関係って多くの場合上下関係ができてしまいますよね。友達であったとしても。
自分の利益のためなら平気で人を利用するかどうかはモラル感の話で、大義さえ作ればたいていの人は気にしない。
自分の利益のためでなくて、自分も含めて多くの人たちが幸せになるからみたいな論理が今の世の中にははびこってるけど。
生きるのがつらいのは、心の闇の部分でなくて、自身で縛っているから
・こういうことはしてはいけないだろう・こういうのは人間としてダメだろう
そういうものでしばってるからですなぁ。
性格悪い人なんて、この世の中ゴロゴロいるわけで。
また、性格悪い人っていっても常に性格悪いわけじゃないってことですよ。
ある人たちには性格のいい人にみえたり、ある状況下では性格良いようにみえたりするだけで。
また、多くの人は、心の闇の部分を表に出さないで隠ぺいしてしまうというのがあるんですよ。
善人づらしている人たちが世の中にあるれているわけですが、実際の善人なんてあまりいないわけです。
積極的に犯罪を起こさない程度では、善人じゃないわけです。
自身の心の闇とともに共存してこそ
アイデンティティー(自己同一性)の確率は、なりたい自分を認めるのでなくて、ありのままの自分を認めることだとは思う。そうしないと、理想とのギャップで、自身のことが嫌いになる傾向にあると思う。見た目の性格は、矯正できると思う
何も気にせず堂々と自分の性格に疑問がなかったころのほうが
マシだったかもしれない。
どうしたら、性格を矯正できますか。
自分が意地汚くて卑しくて生きるのがつらい
外面いいけど、内面真っ黒な人たちもいるわけだし。
詐欺師だって、ものすごくいい人にみえたりするわけだし。
つまりですね、他人から映る自分の性格というのは、矯正できると思う。
演技力ですよ。
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