結婚できないのは、なぜなのか?
出世できないのは、なぜなのか?
マイホームを持てないのは、なぜなのか?
給料安いのは、なぜなのか?
小遣い少ないのは、なぜなのか?
とか、そんなの考えても、人生楽しくなりませんよ。
多くの場合、なぜを考えても、解決にはならないし・・・。
原因探しの人生は、楽しくない
私たちは、何か問題が起こったときに、「なぜそれが起ったのか」と考えてしまいます。
大きな事故にあったり、家族が大病にかかったときなど、なぜ私たちの家族がこんな目に合わなくてはいけないのかと考えてしまうこともよくあるでしょう。
生まれつき障害のある子を持ったお母さんは、あれが悪かったのか、これが悪かったのかと、つい考えてしまうと言っていました。
でも、「なぜ」を考えても、何か良いことがあるでしょうか。医学や物理学では意味があるかもしれません。原因を考え、原因を取り除き、問題が解決することもあるでしょう。けれども、人の心や人生はどうでしょうか。
悪い出来事が起きたときに、「なぜ」を考えると、たいてい悪いことしか思いつきません。ますます暗くなってしまうこともたびたびです。
「なぜ」ではなく「何のために」、悩みの解決(心理学総合案内こころの散歩道)
きっと言葉にできないどっかの部分で、そういうものを抱えている。
そう思って、大義名分を掲げて甘やかして、どうしようもなくさせているのは
わたしのせい。
自分のせいにした話
何か起こった時に、特に不幸よりのことが起こった時に、必要以上に「原因探し」をしている人たちって、なんか不幸の悪循環を招くようで、よろしくないような気が個人的にはします。
特に、自身における原因探しほど、無意味で無駄なことはないような気がします。というのは、たいていは、改善がほぼ不可能か、かなりの時間がかかるものを原因として考えがちだからです。
原因追求といえば聞こえはいいけど、結局「わたしのせい」という考え方が、不幸を招くと思います。
「わたし」の範疇だから、改善できる余地があると思い込んでるだけで、改善不可能なことのほうが多いわけです。
必死に頑張っても、Fランにしか行けない頭脳なのに、頑張りが足りないとかそういうのが原因だと思っても、意味ないことですし、原因があるとおもうと、その部分を改善すればよくなると思い込むので、不幸の連鎖に陥ると思います。
じゃぁ、どうすればいいの?
・良識があるひとほど、不幸になりやすい・冷静に分析できる人ほど、不幸になりやすい
とかその点を考えてみればよいかと思う。
要は、いい加減な人のほうが、不幸になりにくいんですよ。
しかし、いい加減な人は周りからみると迷惑なんで、適当な論理をつくってそういう人をなくそうとするわけです。
不幸な人ほど、良識とか冷静に分析できる能力は邪魔なんです。
つまり、そこそこ幸福な人は、物分かり良くて問題ないけど、
そうでない人は、物分かり良かったら、より不幸になりますよと言う話。
会社とかでも、経営者よりの物分かり良すぎる労働者でOKなのは、その会社で幸福な人たちであって、そうでない人が物分かり良ければ、より不幸になる現実をみれば明白でしょう。
物分かり良いとか、良識があるとか、冷静に分析できるとかいう人たちがいるけど、そういう人たちがつくる矛盾というのは、結局、弱者に押し付けられるだけのはなしです。つまり、不幸な人は、その弱者なわけです。
一般化と正当化は、より不幸を招く
不幸な状態の時に、一般化した論理を作ったり、正当化する論理を作り出すと、より不幸になりかねないと思う。一時的には精神的に救われても現実は変わらないので、そんなに長続きしないわけです。
原因探しをしている中で、多くの人は一般化して自身の不幸が、より多くの人の不幸と同じであるとか、
不幸な状態の正当化を計ろうとするわけです。
あのおじさんは、働くだけの人生で楽しいんだろうか?とか意味あるんだろうか?とか
全然関係ないことと関連付けてしまうのが、一般化する人たちの傾向です。
「他人のことなんて、知ったことではないです」というのが、普通の人たちです。
まあ、初めから、いい加減な性格で、世の中のほうも悪いんじゃないの?みたいな軽いノリのほうが、不幸になりにくいんですね。
多くの人は、論理を使い分けている
ダブルスタンダードなわけです。今は、非常事態だから特別ですとか、
自身が消滅(自殺)しては意味ないのでとか
それらしい論理を用いて、
現実を曲げて理解して、より自分にとって都合のよいように現実を理解してるんです。
また、良識があるといっても、通常はという良識であって、ある一定の部分においては良識ない人たちが結構な数いるというのも認識してたほうがよいと思います。日頃は善人だけど、時々すこしだけ小悪魔になりますみたいな。
何が正しのかわからないけど
自身が正しいと思う方向でない人たちで、幸せそうな人たちを観察するのがよいのかもとは思います。助言にしても、一般論なんてほとんどいみなさないんですよ。
一般論というのは、誰でも言えるような安易な物であって、それでいてそのこと自体には反論しにくいという性質をもっているだけで、実際に役立つことは人生においてないと思ったほうがよいぐらい。
だから、人生相談系で、トリッキー?なことを言う人が意外と人気あったりするわけですね。トリッキーなので、ある一定条件でないと効果を示さないけど、一般論よりは明らかに役に立つ場合が多かったりもするので・・・。
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