さらに「変な不細工な女が、松たか子の歌、歌っちゃってさ。『ありの~ままの~♪』なんて言っちゃってさ、お前ありのままじゃダメだろ! ブスと雪の女王」と毒舌を発揮した。
爆笑問題の太田光 「アナと雪の女王」主題歌を歌う女性に「本当に気持ち悪い」 (リアルライブ) - Yahoo!ニュース
タイトルを、不細工にしようか、それとも「美人・イケメンは、ありのままでよい」にしようかなとおもって検索したら、上記の記事がヒットした。ちなみに、僕は「太田光」があまり好きではない。
よくわかんないんだけどさ。『ありのまま』って『人それぞれの固有性』を発露することでしょ?
だから『女性』であると言うだけで固有性の発露が抑圧されてきた『女性』に対して『ありのまま』がメッセージとして認識されたんじゃないの?
なのになんで対象が『男性』になっただけで『ありのまま』=『男性としてのアイデンティティを守る』っていう定義になっちゃうの?
男性の『ありのまま』が気持ち悪いっていうのはそういう意味でしょ?
女性と男性で『ありのまま』の定義は違うの?
僕は、不美人やブ男がありのままでもイイと思うけど、そうは思わない人たちがいるってことでないかなと思う。
「アナと雪の女王」の「男」の扱いが云々言っている男たちも、僕から見るとたいがい、その論理が気持ち悪いと思う。
まあ、いいんじゃないの。「ありのまま」も「気持ち悪い」も多分、紙一重の差だと思うし、価値観次第で直ぐに両者は入れ違ってしまうから。
「アナと雪の女王」を僕の心の中の大人の目で見る限り、優れた人は、社会に適合しにくくても、ありのままでいいという感じなんじゃないのかな?という気はする。優れてなくてもイイんだよと言う意味での、ありのままでいいとはあまりなっていない気がする。
ありのままでよいのは、「雪の女王」で、そのほかの人たちは、ありのままでいいのかどうかは不明だと思う。
男性の『ありのまま』が気持ち悪いという思想
マッチョ思想の一種じゃないかなと思う。流行りじゃなくなった思想に、しがみついている年寄りたちと、その残骸たちという感じでないかなと思う。
そういうのも、ありのままでいいんじゃないかなと思う。
また、違う価値観では、ありのまますぎて、気持ち悪い思想になると思う。
ありのままで良い
人間は誰でも長所と短所がありますが、たとえどんな欠点があっても、それでも自分は価値のある人間だという自尊感情(セルフ・エスティーム)を持つことが、アイデンティティの確立だということができるでしょう。
発達心理学2.青年期の心理、モラトリアム、アイデンティティ、自分探し(心理学総合案内こころの散歩道)
僕は、上記のように感じるけど、
マッチョ思想のひとは、欠点を改善する努力をしないと、自分が価値ある人間だという自尊感情を持ちにくいのかもとは思う。
まあ、自身がそう思うのは勝手なんだけど、他人にまでそういうのが正しいとか言いだされると、正直、ウザいかなと思わなくはない。他人にまで、その価値観を強制しないと、自身のアイデンティティが揺らぎかねないという可能性があるのかもしれない。
男らしくない男を認めると、自身の男としての存在が揺らいでしまうという価値観だと思う。
自身は、そのままで良いのに、他人はありのままではいけないという思想
僕が気持ち悪いと思う人に、そういう思想の人が多い気がする。抑圧している側は、「ありのままではいけない」っていう思想になりがちで、
抑圧されてる側は、その思想の影響をうけて、「ありのままではいけない」と思いがちなんだと思う。
確かに、自身が自身を抑圧している場合もあるが、多くの場合はそれではいけないと思わせてるのは社会の価値観であることが多いことから見てもそうだろうと思う。
生物としておかしいとか、動物と比較してどうとか・・・
ここ数年みるかぎり、その手の論理は、自身の価値観を補強するために用いられるだけで、ぜんぜん普遍性があることではなかったりする。生物とか動物とかでも、例外がすぐに見つかるとか、そういうのですぐに破たんしてりまったりしてる。この世の中に、普遍性があるようなことは、実はあまりないのかもしれないと思う。
あることにしたいのは、その価値観を守りたい人たちが作り出す物語があるからだと思う。
ディズニーの物語でさえも、その普遍性をまもることができずに、時代の流れにそうことになるわけです。
ありのままではいけないと言えるし、ありのままでいいともいえるんだと思う。
ディズニーの物語が、ありのままではダメで、現状のように変化したけど、
でもある価値観では、これが、ディズニーの物語のありのままだという風に取られることもできる。
ありのままで・・・
現状(自身)を肯定して、動き出そうしている感情を理解していない人たちがいるんだと思う。多くの人は、自身を肯定しない限り、動き出すことができない。
マッチョ思想の人は、そうでない可能性はあるけど、僕はそういう思想の持ち主でないのでよく理解できない。
・・・
不美人やブ男がありのままじゃいけないとして、じゃぁ整形とかすればいいの?という話になることもあるかと思う。まあ、そうすることで、自身を肯定できる人もいるので、それも間違いではないとは思う。もちろん、整形なんかしなくて、ありのままでいいという思想の人もいるだろうし、それも間違いじゃないだろうと思う。
整形美人や整形イケメンは偽物で、ありのままじゃないという理由では、ダメにはならないだろうとは思う。
つまりですね、一方ではありのままがOKで、一方ではありのままがNGとかにすぐに流れがちだけど、そんな単純化してしまったら、意味不明になると思う。
不美人やブ男がありのままではダメなのは、ほかの条件を変えないかからだという論理も作れるんだけど、それは「見た目」という状態についての話から、別の話になってるので、誤魔化していると思う。
スポンサーリンク
コメントを残す