親と言えども、全ての子供を同様に愛せるわけではない

  • 投稿 : 2014-07-18
けれど、今回は最近急速に空しくなってきたので、「こんな思いをする長男・長女」を増やしてはいけないと思って書く。
上の子はあなたたちの試作品ではない。それ以降の子どもたちに失敗から学ぶ工夫を反映させるための道具ではない。
let it goとか言ってしばらく流行ったけど、現実はそんなにすぐレリゴーできないので、その辺りは親の側から留意してほしい。
上の子はしょせん試作品でしかない

長男・長女は、一般的に面倒見がよいというかそういう風に仕向けられる傾向にあるけど
逆に、あれこれ干渉してくるので勘弁してほしいという次男・次女だっているのも忘れてはいけないと思う。

それ以前に、平等ではないというところも、子供から大人になるにつけて、気づいていける人がほとんどのような気もする。

上の子が、試作品で、下の子にその失敗で学んだものをフィードバックして、ズルいという話なのかもしれないけど、それはある程度は仕方がないと思うんだけどなぁ。

じゃぁ、失敗から学んだけど、平等にするために、そういうものをフィードバックしないで、まったく同じようにすればよいのか?といえば、どうなんでしょうか?

極論言うと、下の子にも同じ不幸を味あわせるのが当然だという論理かと思う。

初めての、素晴らしさもある

長男・長女だけに与えられた特権みたいなものも実はある。
何でもかんでも初めてなので、親が必要以上に心配してくれるとかそういうのです。

「お姉ちゃん・お兄ちゃんにアドバイスしてもらいなさい」と責任を子どもに丸投げするのは間違っている。
下の子も下の子で調べたり考えたりする手間を自分で経験するのが必要。
上の子のメソッドをかすみとるだけが彼らの人生ではないし、彼らの人生のためにはならない。
上の子はしょせん試作品でしかない

たとえば親がやってくれてたことが、下の子は親にやってもらえないということもあるわけですよ。

あと、「大学の学部選び、ゼミ選び」とか、そんなのケチケチせずに、教えてあげればいいだけじゃんと個人的には思う。なんと心の狭いんだろうと思わなくはないし、その程度教えてたとしても、それで自分で考える力がなくなるなんてことは、絶対にない。

身内に聞くか、ゼミやサークルの先輩にきくかの違いにしか過ぎないと思う。

なんか、老害に近い感じ。俺(私)たちは苦労したから、同じ苦労をさせるべきだとかそういうロジック。

親と言えども、全ての子供を同様に愛せるわけではない

そんなことはないという人(親)もいるだろうけど、そうでない人たちだっているということを、大人になれば気づくべきだと思う。

フィーリングがあうとか、好みとかあるわけで、表面に現れる愛情というものは、やっぱり変化すると思う。

あと、かわいく寄り添ってくる子供と、そうでない子供では、やっぱり対応が違うわけですよ。

まあ、愛情というのは表面にあらわれるものだけでは評価できないだろうし、また、冷たいように見えるだけでは愛情がないとも言えない。

そういう思想だと・・・

何処にいても、そういう発想になりかねないとおもうけどなぁ。

最近の新人には甘すぎるとかそういうのと似たようなものだと思う。

「あの人、ズルい」「私、損してる」という発想に陥るだけで、現実がそうでも、不幸になりやすい思想だと思う。


スポンサーリンク