・親に愛されてきた人が語る決定的に間違った毒親との関係
許せって、たぶん、あきらめろって話だと思う。
被害者であり加害者でもあるという認識
親から虐待を受けていて、わが子に虐待をしているケースを考えればよいかと思う。もちろん、虐待の連鎖というのはあるとはおもうが、結局は、理由がどうであっても、わが子に虐待をした当人に責任が生じるんですよ。
もちろん、理不尽な感じがあるでしょうが、それが現実です。成人した大人ならそうなんですよ。
また、今更、毒親を取り除いても過去のことは消せない。その部分もよく考えるべきだと思う。
まあ、今後、距離を置くことで何らかの改善は望めるだろうが・・・。
「ひどい目に合ったね、毒親でこまるよね」という他人からの共感で、自己肯定できるのならそれでよいと思うけど、たぶん、そういう自己肯定って崩れやすいと思うんですね。
虐待とかしてなくても、自身の人生は自身の責任でしかないという簡単であり、理不尽な話をどう考えるかですよ。
程度の軽いものまで、何度も毒親にするな
どこの世界にも、理想的な親なんでいないんですよ。つまり母娘の確執とか、父息子の確執とか、そんなのけっこうよくある話で、父息子の確執なんて小説のテーマによくなってる。
・父親と息子の関係 : 男性から発信するトピ : 発言小町 : 大手小町 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
親が子離れしないという考え方もあるが
子が親離れできないという側面もある。
でも、安易に毒親と使う人は、親が悪いということで、自身には一切改善するところはないと考えがちである。
でもって、周りの人も、親離れしなさいというと思います。それは、毒親の行動を変えるのは難しいが、当人の行動をかえるのはそれに比べて簡単だからです。
ここで、悪くもないほうが、態度を改めるのはおかしいとかそんなことにこだわってはダメです。
勘違いかもしれないけど・・・
「育ててもらったのだから親に感謝すべき」という善良な人々の言葉に傷つき、自分がおかしいのではとますます自己肯定感が弱くなるマザコンと揶揄される男連中だって、そういう苦悩にさいなまれてるとおもうけど・・・。
親に愛されてきた人が語る決定的に間違った毒親との関係
妻と母親のどっちを大事にすべきか?という選択で、多くの場合は妻を優先せざるを得ないと判断するに至っては、育ててもらった母親の感謝の一部を捨ててるんですよ。
DVとかと同じでは・・・
周りから何と言われようと、「愛情だとか、やさしさの裏返しだとか、私が悪いからだ」と思い込んでいるうちは、DVから抜け出せない傾向にあるというのと。もちろん、DVをする人が悪いのは事実ですよ。でも抜け出せない原因の一端が当人にあるかもしれないのは事実でしょう。
この構造を、毒親で苦しむ娘?という構造で考えてみればどうかなと思う。
・DV恋愛からきっぱりサヨナラするために! [久野浩司の恋愛コラム] All About
自己肯定=アイデンティティーの確立
どんな親に育てられても、実は、アイデンティティーの確立というのは難しいものだと思います。ただ、マトモな親に育てられたバイは、アイデンティティーの確立ができていなくても、あまり問題なく生きていけることが多いだけという話だと思います。
毒親に育てられた場合は、いろいろ問題を抱えがちなので、アイデンティティーの確立ができないと、問題を処理しながら生きていくのは難しいという話だと思います。
金持ちの裕福な家の子と、貧乏人の子とでは、ちがうようなものだと考えればよいような気がします。貧乏人のほうが、生きる覚悟がないと、生きていくのがつらいのと似てるかと思います。
うーん、親孝行な人って、僕はあまり見たころないけど
親の介護になれば、兄弟でたらいまわしとかそんなの日常茶飯事だとおもうけどなぁ。まあ、最近は、兄弟(姉妹)いない人も多いから、そういうのを知らないから、親孝行でない?自身を恥じたりするだけのような・・・。
周りからひどい人だと言われても、こっちも生活があるんだから無理とかそういう理屈なんですよ。
子供のころはそういうのをみて、みんな親不孝者だなと思っていたんですが、最近はそんなに単純には思えなくなりました。
心が腐ってるんでしょうな。でも、ある程度、心も腐らないと、この世の中ではいきていけませんよ、きっと。
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