嘘でも、夢や感動を与えてくれたんだから、いんじゃないか?
仕事とかでも、コミュ力が低い人が近くにきて困るとかそういう話があるけど、実際は、コミュ力(ソーシャル力)のある人のほうが、問題ある場合も多い。
コミュ力(ソーシャル力)がある人は、その便利な力があるために、コツコツ積み重ねる努力を嫌うんですね。だから、あまり実態がない場合があって、そういう人にかかわると、被害にあうことがあるということ。
コツコツ積み重ねる努力をしなくても、他人に代わりにさせれば、まあ問題はないんだけど、代わりをするほうが被害をこうむるという構図は変わりません。
コミュ力(ソーシャル力)のある人というのは、昔でいうと根回しが上手い人とかそういう人の部類かもしれません。本来の実力以上の成果(報酬、地位い)を手に入れやすいのは事実なので、そういうのに憧れる人たちが多数いるのも事実でしょう。
コミュ力(ソーシャル力)、人間力
外見の新しい形ではないでしょうか?外見に騙されるのは、馬鹿だみたいな扱いだとしたら、
コミュ力(ソーシャル力)、人間力に騙されるのは、どうなんでしょう?
騙されたわけではないという信じたいという気持ち
信じるためには、どこか肯定しないとダメなんですね。嘘の部分は肯定できませんから、肯定できるものに、夢や感動をもってくるとかそういう手法があるのかもと思います。
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