「感謝の気持ち」とキーワードが出てきた時点で、そこから何かを学ぶのは辞めたほうがよい

  • 投稿 : 2014-03-10
  • 更新 : 2014-11-17
どうもネットというか、増田もそうだが、「リアリズムと勘違いした異常な現状否定」か、「自己啓発的な以上な肯定(詐欺)」しか浮かび上がってこないので、
タイトルだけでも一瞬でも見てしまうと、モチベーションが下がる。
「感謝の正拳突き」とは何を意味しているのか?
たぶん、一言でいうと、「ドヤ顔してる人には、周りに対する感謝の気持ちがないので、ムカつく」みたいなことを書いてるだけかなと思うんですね。

たとえば、ドヤ顔してるけど、その人が仕事を取ってきてくれてるから、仕事があって、給料が出てという構図だったら、仕事を取ってきてくれる人に「感謝」したらという話にならないのが、意外と不思議なんですね。

自分たちは、その仕事で泥をかぶるような苦労をしてるという思いだけが強くて、その仕事を取るのに泥をかぶっているというのは想像できないんですね。今時、簡単に、仕事なんて取ってこれないですよ。


エンジニアが、この仕事は面白い、この仕事は面白くないとか「ドヤ顔」で言っているのをみて、不愉快に感じてるなんてそういうのは、エンジニア側は想像できないんですよ。

この記事の教訓

「感謝の気持ち」とか出てくると、崇高な気持ちになるが、それは単なる錯覚のことが多い。

他人が感謝しないことよりも、自身が感謝しないことをまず顧みましょう。


感謝の正拳突きの由来

ちょっと考えてみたけど、よくわからず。

はじめは、合掌の構えから拳を繰り出すからと思ってたけど、そうではないみたい。

で次は、世界(自然)と一体感を感じた境地(さとり)から、打ち出す正拳突きという解釈。

よく、世界(自然)と一体感を感じた境地(さとり)を、感謝という言葉で置き換えることはありそうな気がする。

無我の境地から、打ち出す正拳突き。

それに、どこに感謝があるの?といわれると、よくわからんけど、武道や世界に対する感謝じゃないかな(^^;


現状追認主義もたいていダメ

現状がそうだという話と、それを認めるべきかどうかは別だという話。


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