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コンテンツをジャンルごとに独立させるのは、公共性のためだ。
経済評と昆虫飼育と軍事演習がひとまとめになっているようなブログでは、
読者に余計な閲覧コストを強いてしまうからだ。
これはプロアマ関係ない。公共意識が無いのは、人間の欠陥だ。
https://anond.hatelabo.jp/20130209201645
本家/.「Ask Slashdot: Troubling Trend For Open Source Company」より
当初はサポートが有料であることを丁寧に説明していたのだが、彼らの中には電話口で怒鳴りだしたり、詐欺だなどといって非難する人が増えてきた。何らかの理由で、彼らは無料の製品は無料で電話サポートを提供すべきだと考えており、無料の電話サポートを提供しない当社の製品は完全に無料ではないと考えるようだ。こういった人たちの中には、ソーシャルメディアを利用して悪評を広めようとする人もおり、レビューなどで評価を下げ、当社の決算にも影響が出始めている。スラッシュドットの皆さんは、この傾向を改善するよいアイディアをお持ちではないだろうか。ほかのオープンソース企業は同様の状況をどのように処理しているのだろう。
無料のオープンソース製品に対する無料サポートを要求されたら、どうすればいい?
公共性を考えて公開しているのに、より高い公共性を求められることがあります。
公共性ってなんなんだろうなとちょっと思うわけですが、難しいことは私にはわかりません。
ライフハック的なやり方としては、日本人向けに公開するフリーソフト類は、基本は英語だけで書かれたサイトで公開して、添付の説明書も極力日本語を使わないことです。
そうすると、敷居が高くなるので、公共性を云々言ってくる人たちがかなり減ります。
欧米人に、多言語化して日本語対応すべきだという公共性をいう人がもしいるとしたら、そんなに効果がないとは思うのですが、でも日本語で書いてくる限りは、読めませんということで通ります。
この公共性の問題は根深い
勘違いしていると切り捨てられるときはよいが、そうでないときは処理に困る問題でもある。ブログなら、無料で公開していても発言には責任を持つべきという論理もあるが、ソフトなら、無料で公開していてもある程度は責任を持つべきだという論理に発展する。
この場合の責任というのが微妙で、発言の責任は、自身の発言に対する不利益はあきらめてくださいという意味であり、後者の責任は、これとはまた違う責任に類するものだと思う。
また単なる一個人の発言が、TVニュースのでの発言と同じ重さの責任を問われるなんてことは絶対にないと思う。それは公共性の問題ではないのかな?とは思う。
まあ、xxxすべきという時点で、それは任意の事項であって、必須の事項でないとは思う。xxxすべきと相手がいう場合は、任意事項だと考えてほぼ間違いない。
公共性の問題でも、それは任意事項なのか必須事項なのかでかなり違うかと思う。任意事項は強制することは間違っていると明確にいえるかと思う。まあ、言ってもムダなことは多いが・・・。
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