だれも人は匿名の批評に耐えれない

  • 投稿 : 2011-08-26
  • 更新 : 2015-11-08

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人の精神は匿名の批評に耐えられるほど強くないのかもしれない。
https://anond.hatelabo.jp/20110824212123
結論は、だれも人は匿名の批評に耐えれない(傾向にある)。

こういうことを言い出すと揚げ足とる人がいる。
そういう人はいる限り、人は匿名の批評に耐えれないということが証明されていると思う。

まず匿名だからダメなのか?というとそういうわけでないが、心理学的にも匿名だとひどくなる傾向にあるということははっきりしている。だから、匿名のほうがその傾向が高くなるのは正しいことなのだ。

あとは、批評かどうかという程度レベルもある。批評でないケースも多々ある。
また匿名だからというよりも、ネットの集団性というものがある。

匿名で集団だと、過激に増幅されてしまうというわけ。
匿名というか安全な立場にいる人ほど、その暴力性を示す傾向にあるわけです。
安全だと発言者が思うことが重要で、匿名かどうかはその要因でしかありません。

人は見えるものがすべてだと思う傾向にありますから、そのように目立つものが一般的に言われているものだと誤解してしまうわけですね。だから耐えれないのでしょう。

実際、耐えれるとか言ってる人は、実際に本人がそういう目に合えば考えが変わることがほとんどです。
いじめと同じなんですね。実際にいじめられる側に立たないと理解できないという想像力の欠如があるのでしょう。
想像力の欠如というよりも、人間というものがそういういい加減なものだからかもしれません。

もう一つ違う要素もあります。クリエーターというものは、ネガティブな批判に弱い側面があるわけです。もちろんそうでない人もいますが、あくまで傾向ということです。繊細が故に表現力が豊かだとするなら、感受性などが高いわけです。
普通の人では傷つかないようなことでも傷がついてしまうかもしれないわけです。

揚げ足を取る人は、人はみな同じだというゆがんだ平等の概念を持ってるのかもしれません。しかし人は皆同じではなく、あなたが鈍感で何も感じない人であってもそうでない人たちはたくさんいるわけです。
鈍感な人は自分自身が鈍感だとさえ気づかないほど、鈍感なんでどうすることもできません。

ネットは作り手の技術・発表の場を躍進させる一方で、受け手を成長させることはなかった
https://anond.hatelabo.jp/20110824212123
受け手は、成長する必要性がないので仕方がないといえばしかたがないでしょうね。
また現実社会では行いえないような場としてネットの一見暴力的な部分がそこに実現されてしまったということでもあると思います。作り手は発表の場をほしかったけど、受け手側はそういう場をほしがったということでしょう。作り手は成長してるわけでもないので、受け手側も成長できないとも考えられます。

ひどい人になると、叩かれたぐらいでダメになるようでは駄目だとかいうわけのわからない感じのことをいって正当化する人たちもいます。

「だれも人は匿名の批評に耐えれない」というのは、「だれも集団いじめにはたえれない」ということです。

原因や理由には間違いや考察不足があるかもしれませんが、起こっている現象は間違いなくそういう傾向はあるでしょう。
起こってる現象を何とかしようと考える人たちと、起こっている現象なんかどうでもよくてその発言は間違ってる矛盾しているというような人とは会話が成立しないのです。


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