「大勢の命を救うために少数の命を犠牲にする」という思想は、一見すると正しいようで、その裏側には怖ろしいものがあると俺は思う。
https://anond.hatelabo.jp/20100803040354
トリアージという発想がもともと野戦病院発、いかに効率的に人を前線に再投入するか、つまりいかに効率的に人を殺していくか、という考えから出てきたものです。われわれはそれがいかに人を助けるかという救急救命の思想へと変容していったかという、歴史社会学的な観点を持つべきです。倫理というものは説明が不可能なものだと思います。それゆえにあらゆるものとの相性が悪い傾向にあります。トリアージ的な考えは倫理と相性が悪いわけです。
http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20080523/p1
倫理と相性の悪いものはその適用範囲の妥当性が倫理的に考慮されないと怖いということですね。大義名分があると人は非倫理的な行為が倫理的な面が免除されるように感じるので非常にその行動がとりやすくなるのも事実でしょう。
トリアージとニュアンスは違いますが、多数決と同じ感じなのです。多数決は正しいというのは、少数の権力者の意見よりかは多くの民衆の意見を採用すべきだという意味で正しいわけで、それ以外の場面においては多数決は正しいかどうか不明なのです。多数決は集団の暴力となる可能性を持っているわけです。
少数の権力者の暴力をただすのには多数決は有効ですが、少数の力の弱い人を迫害するのにも多数決は使えるということですね。
そもそも人材・資源の制約がないものなんてこの世の中に存在しないわけですから・・・。
トリアージは非倫理的な行為をしやすくするためでありますが、その行為が倫理的であることではないので倫理的な問題は解決されたわけでもないというのがミソだと思います。
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