若者を指導するという意味を、全然理解していない人たち 【損して、得取れ?】

最近の年寄りは、死ぬ気で若者を教育(指導)するということを理解していない。

死ぬ気で若者を教育(指導)しないと、仕事を覚えてくれないというのに、全然教育(指導)をなめている。

若者が譲歩して、わからないことがあるからと自ら相談に来てるのに、仕事の邪魔をするなという表情を平気でする。

教育(指導)ができなくても仕方がないが、表情ぐらいつくろえないのか?

何故教育(指導)をしようとしないのか?

まったく理解ができない。

若者が困って仕事ができないのなら、半分ぐらい手伝ってやればよい。

自身の仕事は、時間外か家でこなすようにすればよい。

若者の面倒をみるのなら、これが当たり前なのだが、なぜをそれを理解できないのか。

すぐに最近の若者はどうとか、自身の仕事が忙しいとか。

甘ったれるのもいい加減にしてもらいたい。

補足

最近の若い者は、死ぬ気で仕事をするということを理解していない。」を参考に、立場を少しかえて書き換えてみました。

たぶん、変わったのは若者だけでなくて、非若者も変わったんだと思います。

世の中の価値観が変わったんですよ。

なぜ、そこまでやる必要があるのか?というのを肯定できる価値観がもう今はないということだと思います。

単にですね、迷惑だから前世代的な価値観を持ち出してるだけで、でも自身はすでに、前世代的な価値観は捨ててしまっていることに気づかないだけだと思います。

要は、自分勝手なのは、お互いともかもしれないってことです。

引用先が釣りかどうかはしらないけど、社会がよくなるためには、少々損することもしないとダメだということだと思うんですね。

しかし、そういう気持ちを資本家階級の人たちは、安い人件費にするためにすぐに利用しようとするので、そこでせっかくよい循環も途切れてしまっていると思う。

新人の頃に、周りからいろいろ助けてもらったと思う人は、次の世代にそれを還元するようにすべきかなと思う。恩は、直接その人に返すよりも、実はその恩を違う人に返したほうがよいかなと思うこともある。

感謝はするが、恩を返すのはより立場の弱い人にするのがよいかと思う。転職しても、その会社の人でなくてもそういうことをすれば循環するんです。


損して、得取れ

若者を指導(教育)する人がいなくなると困るので、「損して、得取れ」みたいな物語が有効かなと思う。

実際、若者の指導は、年齢の近いほうがよいという名目で、給料がそれほど高くない人たちの担当になったりしてる感じはする。

でもって、基本、自身の仕事は今まで通りきちんとこなしたうえで、面倒をみないとダメ的な・・・。

指導(教育)時間は、基本、勤務時間に入りません的な・・・。

そういう状況下では、まあ、引用先のような人がいても、全然普通というか、当然の結果だとは思う。

「損して、得取れ」みたいな物語は、新人を数人見れば出世できるとか、評価されるとかそういうのだった気がする。

これ、名前だけ管理職とか、名前だけ店長みたいな扱いと似ていて、体よくつかわれてるとは思う。

「若者を指導するという意味を、全然理解していない」という正論をいうのは簡単なんだけど、でも、今度は非若者が救われない。

「損して、得取れ」的な話は、サービス残業でもつかわれる話で、理不尽なことを受け入れるための論理であって、真理ではないとは思う。

「損して、より損をするのを防げ」程度だと思う。

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