ネットでは、それは、娯楽のひとつ。
でも考えてみれば、分かる。
だって、たかがいち個人のワタシの考えを変えようと、
必死になって執着してるんでしょ?
嫌がってるだろうなー楽しいぞーと。
それがおもしろいと思うの、
生きるセンスが無いよねー。
嫌がらせしてくるのはつまんない人だとようやくわかった
web.archive.org:嫌がらせしてくるのはつまんない人だとようやくわかった
思想や価値観というのは、その人を支えているものであったするので、必死になって執着したりするんだと思うし
逆に、嫌がらせをされるほうだって、適当に相手に合わせて謝ったり、考えを改めましたとか嘘を言えないわけで・・。
嫌がらせしてくる人の中で
・明らかに見当違い
・明らかに狂気に満ちている
の2つは、逆にスルーできたりするんですね。
まあ、僕だけかもしれないけど・・。
明らかに見当違いなのは、あきれすぎて逆に何も思わないし
明らかに狂気じみているものは、怖くてスルーしないと・・・。
で、残るのは普通の人たちで、もしかしたら、きちんと話せばわかるかもとか、実際に合えば悪い人じゃないんだろうなぁという感じだったりするんだけど、そのあたりが逆に、スルーできない、心が乱されるという現象になるのかもとは思う。
ということで、普通の人ではない分類にすることで、スルーできるのではないか?という方法論があるとは思うんですね
・きっと、つまらない奴に、決まっている
・現実世界に定着していないのに、決まっている
・その他
それも一つの方法だけど、周りに同意を得ないとそう思えないとしたら、たぶんその路線はいづれ破たんして失敗しそうな感じがする
・・・・
嫌がらせしてくるのはつまんない人だとようやくわかったあれだ。嫌がらせしてくるやつがつまるつまらないに関わらず気にすんなよ自信持てよってことだよ。まあ平然としてらんないのが自然だし当人じゃないから言えることだよ。元気でね。
2015/09/04 12:23
他人事なら、僕もいえるけど、実際、僕の身におこればそうは思えない。
本当に粘着(執着)されてるのか
それとも、粘着(執着)されているように思うだけなのか
わからないというか、
たぶん、粘着(執着)されているんだろうけど、これという決定打を周りに示せないという感じなのは
ストレスたまると思う。
粘着(執着)されなくなったら、明らかに粘着(執着)されていたんだなぁという自己肯定ができるし
粘着(執着)から解放された開放感で、ストレスもかなり減る。
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