主語でかいって、何も生み出さないゴミクズの意見だよね
https://anond.hatelabo.jp/20141006214523
主語が大きいと、影響力が大きいことが多いので、
その論理が気に入らないときは、
数例の例外をあげて、それは主語が大きすぎるという論理をぶつけて、
ゴミ屑にしたい人も、
たいてい、ゴミ屑だと思う。
主語が大きい ->よろしくない?一般化?
主語が大きい批判 ->部分否定を使って、全体を否定する、よろしくない?批判?
日本人は、勤勉で善良であるという主語が大きなものにたいして
一部の日本人はそうでないことをあげて、主語が大きすぎる、不当だという批判に持っていく。
文章というのは文脈にも依存していて、
日本人の多くは、勤勉善良であるという意味のこともあるし
日本人の一部は、勤勉で善良であるという意味のことがある。
それ以外にも、
私が出会ったことがある日本人は、勤勉で善良であるという意味合いのこともある。
例えば、日本人の1割とか5%にそういう傾向があるとしたときに、
それを日本人というくくりで話のはおかしいという論理もありえるが、
欧米人とかにはほぼいないとか1%もいないという場合においては、
日本人の1割、5%でも、そういう傾向がある場合に、
日本人は、xxxxだという文章には意味があったりするし、
主語が大きくない場合もありえる。
主語が大きい
・主語が大きい・ダブルスタンダード
とかいろいろあるけど、
そういう評価基準を安易に用いると、ダメなことも多々ある。
ダメなことは多々あるけど、
切り捨てたいと思う論理に対して行われるので、そのダメさは当人たちにとってはどうでもよいことなので
使いたい人は、ガンガンつかう。
主語が大きくて、問題提起になっている場合は、安易に切り捨てないほうがよい場合もある
・日本人は、勤勉で善良である・日本人は、昔ほど勤勉で善良でない
読み手が日本人の場合、多くの場合は、前者に対しては、主語が大きすぎるという批判?はあまり起こりえないという傾向にはある。それが、客観的に示された事実でなくて、単に主観であったとしても・・・。
主語が小さいのも、コミクズになりやすい
主語を小さくても、うまく文章を構成すれば大きい主語を使った場合と、同じ効果を得られることもあるけど、
多くの場合は、主語が小さいと、たんなる1事例の、それも個人的な主観という位置づけになって
軽く流される傾向にはあるかと思う。
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