「殴ってみろよ、クビにしてやるわ」と問題児たちは口を揃えて先生に言ってた。
何人かの問題児以外のその他大勢は、クラスの日常にだんまりだった。
そういうのをとめる子は誰一人としていなかった。
私も含めてクラスの中心人物の「ガキ大将」にいじわるされるのが、
当時はとてつもない恐怖だった。
あのときクラスが分かれてたら(たぶん無理なのはわかるけど)
どうなってたんだろうと、最近橋本さんの提案をニュースでみて思う。
それなりにまじめに生徒やってる子の人権は無視されてきたんだし別にいいじゃん。
(問題児をとめない周りの子が一番悪いという持論を展開する大人も一定数いるし)
それでも反対する人がいるのは、世の中の不条理さに慣れておく訓練を、
学生のうちにしときなさいってことなのかな。きびし~!
小学生の頃、自分が在籍したクラスが..
管理しやすいために、組織の問題児を隔離するという方式は、本当の問題児を隔離するとは限らないところが、個人的には怖いかなぁと思う。
大人の社会を見てみれば明確で、組織を維持するために、本当に悪い人を排除するんじゃなくて、問題の被害者を切り捨てることで何もなかったかのようにするってことです。
たとえば、セクハラでも、セクハラを受けた側を排除してしまおうとする場合を考えてみればよくわかると思う。
結局は、力関係で、排除される人たちが決まるんで、どうなるかはわからないかな?と思う。
イジメを受けていて、結果として問題行動を起こしていても、イジメを認めたくない先生(学校)という立場であれば、どうなるんだろうか?
なんか、隔離制度?をつかって、イジメができそうで怖いなと思う。万引きを無理やりさせるとかそういうイジメがあるように、問題行動を無理やり起こさせたらいいわけですから。
忘れ物をよくするとかでも・・・。
まあ、そんなのだいたい雰囲気でわかると思うんだけど、分かりたくない大人たちがいるのというのを忘れがちだと思う。
#実際には、隔離制度?を見る限りは、そんなに簡単にそういうことができるも思えないけど。
僕の思想の位置
実際問題、隔離できるという手段は必要だとは思う。だって、そうでもしないと行き詰っている場合は改善する方法はないとおもうから。たとえば、イジメでも犯罪レベルにあっても、教育現場なので警察に介入させることはできないという制限があれば、その時は結局何もできないわけなんだから。
だから、隔離するのが悪いとは思っていないということ。
でも、たぶんいじめられてるなというのが分かっていても、知らないふりをする大人たちがいる現状では、隔離という制度も、単に集団を管理するという目的に使われて、本来は保護されるべき人が排除される可能性さえあるかなと思う。
問題児の人権を考慮する必要があるというのは、実は、集団の管理というのでなくて、個々の教育・指導が大事という視点が抜けてはいけないという話だと思う。
本当に問題がある排除できたとしても、排除は教育でなくて、管理なんで・・・。
まあ、隔離と言ってるけど、問題児を教育することにはなっているみたいだけどね。
今までは、なぜか問題児の教育に、周りの生徒も協力しないとダメなことになっていたという話で、そういう視点で立てば、子供にそこまで負担を強いるのは間違っているかもとは思う。
大人でも扱いに困る、指導できないものを、子供にどうしろっていうのか?なんですけどね。
学校行かなくても、義務教育を受けれる権利
義務教育の義務は、親が子供に教育を受けさせる義務であって、子供が学校にいって教育をうけないといけないという義務ではない(はず)。
なので、隔離も認められるのなら、学校に行かずに義務教育を受けれる制度もあってもよいかなと思う。
タブレットでビデオ録画されたもので授業が受けれるのなら、学校行く必要ない気が・・・。
いやいや、学校で集団でないと受けれない教育があるとかいうけど、それはなにか?なんですけど。
集団に属して、理不尽な目に合っても、耐えれる力ですかね?
立場の弱いほうにだけ、常にコミュ力?集団生活力?が要求されるのは、社会がそうなってるからなんだけど、どうなのかなぁ?とは思う。
イジメ問題でも、イジメる側の社会不適合性はあまり批判されないんですね。
だって、犯罪行為まで至らない場合は、それは社会不適合とかでなくて、逆にプラスになってるかもしれないからなんだろうけど。
イジメられた人は、いろいろ不利な目にあい、またそれがトラウマになるけど、イジメた側は普通に社会に適合している人がほとんど。犯罪を起こすとかそんな反社会的なこともしない人がほとんど・・。
イジメがひどければ、学校に行く必要がない
この路線も、ある意味、隔離なわけですけど・・・。これは同じ隔離でも、賛同する人が多いとは思う。
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