弱い、強いの意味合い
・自殺する人は弱い - grshbの日記・「自殺」に関して〈個人〉と〈社会〉の両側面から考えたい - ぐるりみち。
・自殺という選択肢はアリ?ナシ?〜週末シンポジウム第3回〜 - 心がよろけそうなときに読むポンコツ日記
いろんな考え方があって当然だとおもうし、どれが正しいとか言い難いと個人的には思います。
・席を譲る人は弱い
・席を譲らない人は強い
・席を譲る人は強い
・席を譲らない人は弱い
どっちも、ある価値観では正しい(真)だと思うわけです。
「弱い」、「強い」って、なにを意味してるんだろう?ということを逆に考えたほうがよいのではないかなぁ?と思う
たとえば、以下の価値観を考えてみましょう。
・生き残る人は強い
・生き残れない人は弱い
これって結局、強い・弱いの意味合いがあまりなくて、
生き残る、生き残れないの状態を表してるのに過ぎないわけです。
人の尊厳の問題
「強い」「弱い」という表現は、えてして、「強い」ことがよいことのように多くの人は錯覚してしまいます。だからこそ、人の尊厳と関連ある項目に関して、「強い」「弱い」を安易に用いるべきではないと個人的にはおもうし、またそのことで人の尊厳を傷つける可能性があるのなら、別の意味で表現に気を付けるべきだと思うんですね。
・他人の尊厳を大事にできる人は強い
・他人の尊厳を考えない人は弱い
こういうものだってできてしまうんですね。「強い」「弱い」が、人として素晴らしい、素晴らしくないにすり替わりかねない感じになるわけです。
他人の心はわからないが、自身がどうあろうかというのは大事かも
他人の心はわからないし、他人の行動をあれこれいうのはちょっとと個人的におもうが、それでも自身がどう考え、どうあるべきか?というのは、まあ重要なことなような気はします。僕の自殺に対する考え方は、
以前は、自殺する人を無理に止めるべきではないし、また、引き留めることで責任は取れないという考えでした。
で、今はというと、自殺をする人がいれば、できる範囲で止めるべきだと考え、引き留めることで責任をとれるかどうかはとりあえず考えなくてもよいのではないか?という考えになっています。
僕にできること、まして知人ならともかく他人ならできることというか、やろうと自身が許容できることはできることは限られているが、1日自殺をするのを延長できることぐらいはしようかなとは思っている。
このあたりは、主義・思想・価値観の問題であることが大きくて、
結局、自殺するのなら1日伸ばせたとしても無意味だという反論?は、ある意味、意味を持たない反論かもしれないという可能性もあることを考えてはほしい。
また、以前の考え方をもっていた僕も、その時は、自身の正しさにかなりの自信を持っていました。今は、正しさには自信がないけど、決意のようなものがあるのが違うかなと思います。
責任、責任と最近は、みんなうるさいけど・・・
結局のところ、人間を動かすのは感情だ。論理だけで人は動くことが出来ない。どんなに優れて正しそうな論理も、感情を支えるための要因の一つにしかならない。そうである以上、絶対的な正しさというものはない。価値は常に流転し続ける。根源的に自身の感情を支えるのは自らの意思だ。独善的に良し悪しを決定しなければいけないが、その決定にそれほど責任を負わなくてはならないとは限らないと僕は思うようになりました。
だから、独善的に良し悪しを決定し、その決定の責任を負わなくてはならない。自らで考え決定しその責任を負える強さが人を生に近づけ、それを退ける弱さが人を生から遠ざける。
つまり、自殺する人は弱い。
自殺する人は弱い - grshbの日記
たとえば、独善的に自殺を止めようとしても、相手もその態度にこたえるかどうかは、相手が決める問題でもあるからです。
責任というのは、一人で背負うものではなくて、本当は、責任というものを一人ずつ、すこしずつ負うという考え方も可能じゃないかな?というのが、自殺に関しての今の僕の価値観です。
つまりですね、「自殺をする人は弱い」と言い切れる人は、別の部分が「弱い」んじゃないかな?と思う。
・・・
・先日の記事「自殺する人は弱い」が炎上した件について - grshbの日記たぶん、言葉にとらわれてるだけのような・・・。
「他人が不幸になろうが、何百万人死のうが、僕は生きる」というのが強いというのも事実だとは思う。
でもって、そのとばっちりを受けて、不幸が他人にうつって、その人が耐え切れなくて自殺するというのもあるかも。
簡単にいうと、本来は責任を取るべき人が責任をとらず、そのとばっちりをうけて、変に責任を感じたり、精神的に追い込まれたりして、自殺とかもありえるでしょう。
自殺する人が弱いかどうかは知らないけど、強者の犠牲になって自殺するという社会的な構図は存在すると思う。
だって、世の中のひずみは、弱者に集まるものだから。
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