教育は、サラリーマンになるために最適化されるべきなのか?!

みんな身勝手で、自分勝手な癖に、「ミスマッチ」という言葉で誤魔化すなよなとは思う。

この場合のミスマッチは、利害関係が一致しないという意味で、資本家と労働者とは、利害が一致しない部分は必ずある。それをミスマッチと言ってしまうのは、単なるご都合主義かも。

たとえば、教育を企業(経営者)が望むような方向に最適化する場合は

・労働法は、必須でなくて任意にするか、最低限度に抑える方向を望むでしょう

そういうもんなんですよ。

オマケに、労働法を本格的に学ぶ必要もなくて、数時間学べば、会社に抵抗できる知識を得ることができるのに、そういうことをしてるところは、たぶん現状ないと思う。

職業訓練の要素も含むべき

そういう風に言い出す人たちは、自分たちは別に職業訓練を受けたいとか、受けたかったという話ではなくて、自分たちが便利に使うために、そういう訓練を学校教育で受けさせたいという話なんですね。

自分自身が社会に出て困った経験上、こういうことは学校教育課程で、教えておくべきじゃないかな?という話でない時点で、怪しいと思うべきと思う。

この人たちは、学校で職業訓練の要素がないことで困ったことは、ぜんぜんないと思う。別に優秀だからでなくて、そもそも必要ないから。

それでも、必要ですか?


中小企業の社長は、本当に法律を理解していないのか?

中小企業の事業主さえよくよく法律を理解してなかったり、法律の理解がないのをいいことに会社内でローカルルールが出来てる…なんて話はザラにある。
ミスマッチしているのは企業と学生ではなく、企業と教育なのでは? - とある青二才の斜方前進

・理解している人たちは、巧妙にローカルルールを設定して実施する
・理解しているがよい方法がないときは、理解してないふりして、ローカールルールを設定して実施する
・全然理解していないが、法律なんて少々違反しても大して処罰されないことは理解していて、それを根拠に、ローカルルールを設定して実施する

法律を何のために理解するかで、理解してもローカルルール自体は大差なく、重要なのはどの法律を優先して守るべきで、どの法律は名目になっているかを知ることだったりしないだろうか?

ここで重要なのは、「馬鹿で損するかどうか?」で、この例では、「馬鹿でも損していない」ので、そういう意味では全然バカではない。

馬鹿 = 知らない、理解していない、理解が足りない

一人の人間としてどう生きるのか?

教育?は、学校だけが行うものではない。親や、社会等がある。

安易な最適化と、すぐに結果がでる最適化を望みすぎてはいないか?ということです。

本来は、そんな安易なものには、それほど価値がないかもしれないってことにすぐ気付くのに、気づかないふりしてるのか、気づかせないようにしてるのかは不明だけど、あまり疑問に感じる人が少ない気が・・・。


利益を出すための、原価率の設定の仕方

たとえば、こういうことを学校で教えたほうがよいかどうか?ですね。

教えれらえていないので、原価率を知ってぼったくりだと思ったり、逆に商売を始めるときに値段設定に失敗したり、または、営業マンで物を売る時に、詐欺的な価格だとか勘違いする人たちが出てきたりはしてるようです。

適正価格なんて概念は、実は難しいので、逆に詐欺的価格やぼったくりなのに、言いくるめられて納得してしまうこともあるでしょう。


自身でなくて、他人の教育がどうあるべきかが重要だと思っている

多くの人が教育に望むのは、自身(社会)にとって、迷惑にならない人たちになるようにという要素が強すぎるんだと思います。その迷惑にならないようにが、加速した状態が、役に立つ人たちになるように変化するわけです。

他人に、自身の都合のいいことを押し付けるのに便利な洗脳を望むわけです。

その洗脳は、思想だけでなくて、能力もそうであってほしいわけです。

つまり、教育は社会にとって最適化しようとしてるわけで、個人が生きていくのに最適化されてるわけではないかもしれないってことです。

でもって、個人が生きて行くのに最適化されると、それによって社会(周りの人たち)の既得権が侵害されるかもしれないんです。

賢すぎる消費者なんて、賢すぎる労働者なんて、資本主義社会においては迷惑この上ない存在ですよ。

その証拠に、消費が低迷しているのは、不景気もあるけど、賢すぎる人たちが増えてきてるからかも。

CMをみて、ほしいものを買って、リボ払いで決済するとかそういう人がいいわけです。
また、低賃金でもプロ意識をもって仕事をするような、勤勉で誠実な労働者がいいわけです。


企業と学生のミスマッチって何?

ミスマッチ点をあげてみれば、そのミスマッチを埋める方法が、もしかして見つかるかもしれない。
ただし、昔はなかったミスマッチの場合は、教育でカバーできるものかどうか?をまずは疑問を持つべきなんです。

・企業は教育したくないので、学校に押し付ける
・企業は賃金を払いたくないので、別の理由を付けて誤魔かす

昔の人たちは、意外と「バカ」で
サービス残業もそこそこしてきたし、低賃金な時代でも我慢して働いてきたんですね。

今は勉強させてもらっているから、低賃金でも、サービス残業でも我慢してとか、3年は我慢しないととかが、まかり通ていたので
企業とのミスマッチ度は低く抑えられてきたという部分もあるかと思います。

また、会社に迷惑をかける、周り(職場)に迷惑をかけるという意識が強くて、今では当然の権利と思われているものを使うのでさえも、遠慮がちにそれも最小限に使ってきたわけです。ある意味、無知だから許容できたのでしょう。

でも、賢くなった労働者が、そんなの許容できるなんてことはもうないんです。
オマケに、偏差値が低いといえども大卒な、高学歴なわけだから、昔の高卒と同じ扱いの給料でというのも無理なんですね。

じゃぁ、高卒取ればよいのにという話があるのに、企業さんはなぜか大卒を取りたがるんですね。それは、そのほうがやっぱりお得だというのがあるからです。でも、賃金は前と同じがイイなとなれば、ミスマッチという言葉を持ち出せばよいだけかも。

実は企業は、教育というものを安くは見ていないということです。Fランクの大卒と高卒とでは大差ないとか思っている人たちのほうが、教育を安く見ているわけです。価値を認めていないわけです。


実務経験を伴わない資格は必要ですか?

これは、個人としては実務経験を含まない資格であっても、邪魔にならないというか、持っていても損ではないという結論になろうかと思う。これ、教育でも似たようなものなんですね。邪魔にならないという部分の、その可能性という価値を評価すべきなんですね。

でも、多くの場合は、実務経験がなくて資格だけある場合は、社会では役には立ちません。

教育というのは、そのような資格と似た性質もあることを忘れなく。

ここで短絡的に、それは無駄、価値がないと言い出すと、教育という性質を理解してないと僕は思います。

また、個人が感じる価値と、社会が評価する価値に相違があることにも注目すべきでしょう。

学問と教育は違うかも?

教えられて吸収する -> 教えられて自ら考え出す ->自ら学んで考え出す

大学(学士)の時点では、「自ら学んで考え出す」という部分が重要なのでは?

教育でさえも、消費者としての立場でしか考えられなくなているのかも。

おまけ:バカな人がいないと、豊かな暮らしが維持できないから

残念なことに、そういう傾向があるかとは思う。

自身が低賃金で働くのは嫌でも、低賃金の人がいないと豊かな暮らしを維持できないとわかれば、それを容認しがちなんですね。容認しないまでも、現状を積極的に変える方向には動かないと思います。

たとえば、そういう企業の商品やサービスを使わないとかは多くの人はしないだろうし、また低賃金労働者がストまがいなことをして自身が迷惑をこうむれば、批判はどこに向けるかで、本音の部分がわかるかと思う。

会社が倒産して、後処理に頑張る社員たちを馬鹿だとは言わずに、社会は称賛する傾向があるのと似たようなもの。現実は意外と理不尽で、さっさと逃げ出した人たちのほうが再就職率がよかったりする。

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『教育は、サラリーマンになるために最適化されるべきなのか?!』へのコメント

  1. 名前:けん : 投稿日:2014/04/06 23:17

    相変わらず青二才さんの文章は長いなーw

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