自分の意見がない人は、自分の感情がない人。
感情がない、何も感じない、それを出せない。
『感情に乏しい』・『自分の意見がない』人は読んでみて下さい。
・感情を出す必然性
・自分の意見をもつ必然性
そういうのがないのなら、特に何もする必要はないかとは思う。
実際には、
感情が乏しいのではなくて、感情が乏しく見える
自分の意見がないのではなくて、自分の意見がないように見える
というだけの話だと思います。
多くの人は、興味ないものに対しては、
感情が乏しくなるだろうし
自分の意見もないことが多い
と思います。
ただ、社会生活・学校生活などの集団生活をしていると、
興味ないものに対しても、感情を示せとか、自分の意見をもてとか、そういうのを強制する人たちが出てくるってだけの話です。
こういう路線は、個性を重視しているのでなくて、社会の集団としてのパーツとしての性能を重要視しているのだと思います。
だれだれと同じ意見です
実際には、そういうのがあるわけですが、こういうのは、たいてい自分の意見を持っていないとみなされるんですね。
単に、同じ意見でも、自分なりの表現方法で言ってね?という部分の話なのに、
短絡的に、自分の意見のない人、自分の考えがない人にでっちあげてしまうわけです。
インテリは、感情が乏しいように見える
感情というもう一つの一面に、「共感」というものがあるからだと思います。感情があっても、周りが共感できなければ、感情がないとみなされるという現象ですね。
要は、自分の意見があるかのようにふるまう、感情が豊かなようにふるまうのが解決策かも
自分の意見があるとかいっても、たいていはどこかの誰かの受け売りとかに過ぎないわけなので、まあ、あとは、そういう風にふるまえるかどうか?という表現力の問題かなぁと思います。
感情も同じで、態度で示すとか顔の表情で示すとか、そういう表現の問題かと思います。
感情の方が分かりやすいと思うが、
実際にはいろんな思いや感情があっても、それを伝えるとなると難しい場合があるのがわかるかと思う。
伝わらない、伝えれない場合は、感情はあってもないに等しいんですなぁ。
自己啓発系は・・・
多くの場合は、アウトプットの部分の改善であって、感情がないのに、感情が湧いてきたり
自分の考えがないのに、自分で考えられるようになったりはしない。
でも、アプトプットを改善するだけで、そう見えるので、悩んでいる人の満足度は高いかと思う。
逆にいうと、現状でも支障がなければ、何もしなくてもOKだということだと思うよ。
食べ物を食べても、美味しいと思わないのは、おかしいとか言うのは、
頭で考える上ではそうであって、
食事は単なる栄養補給で、そのことに対する優先順位が低い場合は、別にながら作業の一種だとおもうけどね。
アウトプットの部分の問題なので、あまり悩む必要はない
心の病とか精神病とか、そういう範疇にない限りでは・・。そういう範疇にある場合は、自己啓発系の論理で改善することもなさそうにはおもうけどね。
会社でもありがちじゃないですか?
最近の新人は、自分の考えを持っていないとか (自分の考えがない)
最近の新人は、付き合いがドライで人間味がないだとか (感情に乏しい)
そういうの。
しかし、実際にはそう見えるだけで、考えもあるし、人間味もあるわけですよ。
都合よく動かない = 主体性がない(自分の考えがない)
感性が理解できない = 感情に乏しい
そんな感じだとおもうね。
これは世代間とかなので分かりやすいけど、
同世代でも、少数派の人たちはそういう目にあいやすいと思う。
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