死刑廃止論者ってじぶんの子どもが殺されても同じこと言えんの?
追記
「子ども殺されても同じこと言えんの?」で論破になってると思ってる奴が腹立つって話なのですよ。
https://anond.hatelabo.jp/20140716093618
意見が違う場合、思想が違う場合は、
おなじ人間だと考えないほうが、よい場合も多いかと思う。
「子ども殺されても同じこと言えんの?」という部分には、きっと言えないだろう?という思い込みがあるのがダメなんだと個人的には思う。
なぜ思い込みか?と断定できるかというと、僕が言えるから。
それを人間として信じられないとか、親としてどうだとかいう話はあるが、それとは別にそういう人たちがいるという現実ですね。建前でなくて、本音でもそうなの?とか言う話もあるとはおもうけど、それさえも思い込みかも?
この手のパターンに似たものは、
・無知だから、正しい知識を得られれば
・事実をしれば
とかいろんなパターンがあるけど、
その条件をクリアしても、相手に意見を変えさせることができないことがほとんどなんです。
その条件をクリアすれば、相手が間違っていることを自覚できるだろう?という部分に依存しているからです。間違っていることが前提で話が進んでいるという部分も、そういう風に錯覚(誤解)させるのだと思います。
まあ、どんなに頑張っても、相手の意見を変えさせるのは無理な場合が多いから
相手が自分と同じ人間だと勘違いして、上記のようなことをいろいろしてみても悪くないかもしれないとは思う。
だって、結果は無駄という意味では、あまり変わらないんだから。
無駄ではないという思想が、正しい?と信じさせているわけで、
こうして僕が無駄ですよという話をしたところで、受けいられれるかどうかは別なんですね。
「同じ人間だ」という思想が間違ってるわけではない
「違う人間だ」という思想も間違っているわけではない
そんな感じ
説得にはいたらなくても理解という範疇でさえも、根気強く長い時間をかけないと、それなりの結果が出てこないと思う。だから普通の人には無理なんで、今まで通りの反応をして、怒りを覚えたり絶望してもいいんじゃないかなと思う。
相手の思想に立って、考えるというのは難しいものなんです
それは、相手の気持ちにたって考えるのが難しいのと似たようなものかもしれない。同じ思想(考え)を持つ人でさえも、その根本を見てみれば違う場合も多いことも事実。
でも賛成同士は、その違いをあまり意識することはない。
だって、賛成ならとりあえず、自分自身の思想は通るわけだから、同じ考えだということになるわけです。
思想や信念は、論破なんてできない
宗教が間違っているといえないのと似たようなもの。わが子が冤罪で、死刑になりそうになっても同じことが言えるの?
わが子が、冤罪でなくて本当の犯罪者で死刑になっても、死んだ方が世の為だと思えるの?いろんなバージョンがあるわけですが、
「人でなし」みたいなレッテルをはったり
「感情」より「思想(イデオロギー)」を大事にするとか言ってみたり
そんなの、一方的な価値観による押し付け論理だと思う。
物事を分かり切ったことだと、割り切って、こうだと言い切れる人のほうも、たいがい怖いと思う。
あっちは独裁で、俺達は独裁でないという感じで、実際にはどうだかわからないんだから・・・。
スポンサーリンク
コメントを残す