イジメにあってる子供に必要なのは、心の支えなんかもね

私が欲しかったのは「逃げろ」という言葉じゃなくて、「一緒に逃げよう」と言ってくれる人だった。

べつに逃げることにこだわらなくてもいい。「一緒に耐えよう」「一緒に戦おう」と言ってくれる人でもよかったと思う。

たぶん、当時の私には、自分の味方になってくれる人が必要だったのだ。

娘へ ~将来死にたくなったらコイツを読め~
http://shinya-sheep.hatenablog.com/entry/2017/02/19/212326

「いじめられたら逃げろ」という言葉が嫌いだった。


「いじめられたら逃げろ」というのは、処世術とかテクニックの部類であって、心の支えにはならない可能性は高いかなぁとふと思いました。
逃げた後どうしたらよいの?みたいなのもあるし・・・。不安だよね。

あと、例の引用先の漫画?を何回が読んでみたけど、何が心に響くのかちょっと僕にはわからず。
実際に、ひどい目にあったことがない人の、机上の空論見たいな気がしなくないんですね。

死ぬよりマシでしょうとかいう論法も、死んだほうがマシな現実というのがあるというのを知らないとかなんじゃないの?と思うわけです。
「死んだほうがマシな現実」があたっとしても、生きてほしいとかそういう矛盾した熱い思いがないと、言葉が届かなかったり、心の支えになりにくい場合もあるんじゃないかなぁと思う。

・いじめられたら逃げろ
・いじめられたら逃げても良いんだよ

この差は大きいと思う。
でもって、後者の方が実際には心に届きやすい気もするんだけどね。

なんでも強く断定的にいえばいいってものじゃないとも思う。

まだ、なぜあの漫画が僕の心に響かないのかわからないけど、もう少し考えてみたいと思う。
まあ、僕が人間として欠陥があるからという理由かもしれないけどね。

理不尽なものに対して、正論で対応できるとは思えない

理路整然とした言葉で、対応できるとは僕は思えない。
理路整然としている時点で、納得できる人は多くなると思うけど、たぶん無力。

結果論と極論の弊害

・いじめられて自殺するぐらいなら、逃げても良いんだよ
・過労死するぐらいなら、逃げても良いんだよ
・うつ病になるぐらいなら、逃げても良いんだよ

そんなの啓もう周知されてるわけで、その言葉自体に何らかの力があることはマレ。

・軽いイジメなら?
・過労死しないけど、過労ぐらいなら?
・うつ病にならないけど、軽い不眠ぐらいなら?

じょっと条件が変わると、逃げ出せなくなるし、でもって逃げることが正解とも言えないくなるというのがこのロジックなんだと思う。

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