「敵でなければ、適当なこと言っても良い」という弊害

味方なら、適当なことを言っていてもよいという弊害

本当に由々しき問題なんだが、改善する方法があるとは思えない。
「正義の側に立っていれば適当なこと言ってもいい」という勘違い


改善する方法は、周りが指摘することだけど、でも指摘しないですよね。
敵を攻撃するのに必死で、味方のことまで考えてられない。

味方のことなんて結局どうでもよくて、自身のことを考えてるから仕方がない。

また、敵側が指摘してくれるかもしれないけど、敵の言うことに耳を貸すお人よしは実際にはいない。

そんな感じなのでは?

というか、適当なことを言っているという自意識があれば悪質だとおもうけど、大抵は適当なことを言ってるつもりはないんじゃないかなぁ。

あと、適当なことを言うのは些細なことで、正義であることが重要だという価値観なら、そうなると思う。まあ、まずは正義であることが大事だというのは、そんなに間違ってないとも思うけどね。

疑似科学界隈とかでも、似たようなものですよね

間違った理解でも、疑似科学だと一緒に批判していれば、「間違った理解」をただしてあげようなんて思わないところが・・。
科学の大切さよりも、疑似科学をたたくことを優先している・・。

こういうのいろいろありますよね。
差別反対といっている根拠が差別的なんだけど、同じように差別反対と言ってくれるのなら、あえて「差別的な根拠」には触れないでおきましょう見たいな。

ヘイト反対とかいってるのに、ヘイトと同じような手法で同じ属性の人たちをまとめて批判してておかしくても、ヘイト反対に賛同してるのなら黙認するか、その事実は見えませんみたいなこともあるような。

正義とか正しさとか・・・

「正義の側に立っていれば適当なこと言ってもいい」という勘違い

正義が存在するという勘違いをしてる人のほうが多い

2016/09/24 02:32

正義が存在しないとまでは言わないけど、正義も行き過ぎたら悪になる気はするけどね。
薬も分量守らないと毒になりますよみたいな。

あと、正しさも微妙だと思うけどね。科学とかそういう分野でも、正しさに揺らぎみたいなものがありそうな。
特に、解釈や評価を必要とするものは特に・・・。

また、理論上はとか、学問上はとかがつく時も、正しさに揺らぎがあるような・・・。


スポンサーリンク

コメントを残す

メールアドレスは公開されません。
また、コメント欄には、必ず日本語を含めてください(スパム対策)。