「承認要求」より害がある?!「相手にこうあるべき」と要求する態度

若者は分をわきまえて礼儀正しくみたいな、ある意味、老害気味な態度。
別に、「分をわきまえて礼儀正しく」が大きく間違っているということがないので、その言動が問題なのかどうかはわかりにくいし、老害って決めつけもどうかなぁというのはある。

話を戻して、承認要求が批判されたりするんだけど、それって裏返しで、「相手にこうあるべき」と要求する態度もかなり問題があるち思うんですね。

理由は簡単なんですよ。承認要求が問題視されているのでなくて、こうあるべき姿と違って迷惑だから、問題視しているだけかもということです。

逆に、承認要求が強い人たちがいて、それと方向性が違うけど性質の似たものに、相手に何かを強く要求する人たちがいるということだけだと思う。

力の方向が自己に向くか、他者に向くかの違いなんですよ。

で、カモフラージュとしては、自己中な雰囲気をなるべく消し去るということをしておけば、その匂いは消えると思います。

自己中気味な承認要求
自己中気味な相手へのこうあるべきという要求

こうして考えれば、似てるかもと思える人もいるとは思います。
まあ、自己中の色付けは例として挙げてるだけなので、自己中でなければ問題ではないということでもないとは思います。

他者を自分色に染めようという要求は、承認要求とどの程度違うのかですね。
他者を自分色に染めることによって、自己承認要求が満たせれるパターンもあるでしょう。

中でも承認欲求とは、自分が集団から価値ある存在と認められ、尊重されることを求める欲求である。
承認欲求 - Wikipedia


「こうあるべき、これはいけない」という正しいことを言っているのに、受け入れられない場合は、自身が価値ある存在と認められていないと無意識に思ってしまう場合もあるでしょう。

こうすれば、トラブルに巻き込まられにくいよという話

そういう話と、こうあるべきとか言う話はまた話は別物だと思う。

強すぎる承認要求はダメだといいながら
でも、この強すぎる承認要求は別物だとか
結果がこうなれば、強すぎる承認要求も良いだとか

もう、なんだかわからない話に・・・。

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