「似ているが問題ない」というのが、正しい理解なのかも?!

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著作権という部分については、
仮に模倣していても白を切って、でもって後付でもそれらしい論理をつければ、問題ないっていう話のかなぁと思う。


商標という部分については、
似てるだけでも問題になるので、できる限り避けなければいけないというのが正しい理解なのかもと思う。

で、今回は、相手は商標登録されていなかったので、似ていても問題ないという見解になるのかもしれないと思う。

パクリにも数種類あると思われる

・商標を侵害しているパクリ
・著作権を侵害しているパクリ
・著作者人格権を侵害しているパクリ
・権利を侵害してないパクリ

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似ている、似ていない

1.視覚的な要素としては、両者は主要部分が類似している。
2.コア・コンセプト面では、合字とモジュールという異なった設計思想である。
3.機能面では、遠距離から判別できるため、ロゴとしては差別化されている。
4.法律面では、リエージュが商標未登録のため、問題ないと判断される。
5.感情面を排除すれば、「問題ない」と判断される可能性は高い。

このうちデザイン上「似ていない」根拠は、2と3です。類似が指摘されているのは外形(四角と円)ではなく、主要なモチーフの見栄えについてですから、3は意味を成しません。

残るのは「2. コア・コンセプト面では、合字とモジュールという異なった設計思想である。」という点のみです。

となれば「似てない」根拠は、「似て見えるか、似て見えないか」でも、エンブレムのデザインそのものではなく、デザインする上での「設計思想」のみと言うことになります。

──つまるところ、この記事の解説は、佐野氏が会見で行った解説に、自分に都合のいい事例だけを付加しただけの「ごまかし」ということになるのではないでしょうか?

デザイナーの『ごまかし』 本当に「五輪とリエージュのロゴは似てない」か? - ツイナビ | ツイッター(Twitter)ガイド


たぶん、ミスリード的な要素があると思う
個人的には、ごまかされている感がある。



似ていることと、権利関係をきちんとわけて説明すれば、素人にもわかりやすい気がする


似ているけど、違うものなんですじゃなくて
似ているけど、権利は侵害していないんですっていう話なら、
問題を切り分けていけるので、理解されやすいと思う。

・法的問題
・創造性(創作性、独創性)の高さの問題
・人間性の問題

「表現」と「アイデア」との区別

 もっとも、何が「表現」で何が「アイデア」なのかを区別することは、必ずしも容易ではない。
 例えば、著作権の保護期間が経過しているかどうかという点をしばらく捨象すると、「ロメオとジュリエット」、「ルチア」及び「ウエストサイドストーリー」がそれぞれ最上級の著作物であることに疑問を持つ者はまず存在しないであろう。

 しかし、準拠法の問題はともかくとして、「互いに憎悪を持つ2つの家の若い男性と女性とが恋に落ちたが、両家の対立故に悲しい結末に終わる」というストーリー展開に着目して、仮にこれを「表現」に属するものと考えて、その共通性を強調すれば、「ルチア」は「ロメオとジュリエット」の盗作つまり著作権(翻案権)侵害であることになる可能性が生じる。

 さらにストーリーを抽象化して、「互いに憎悪を持つ2つの組織に各々属する若い男性と女性とが恋に落ちたが、両組織の対立故に悲しい結末に終わる」というストーリー展開に着目して、仮にこれを「表現」に属するものと考えて、その共通性を強調すれば、「ウエストサイドストーリー」さえも「ルチア」や「ロメオとジュリエット」の盗作つまり著作権(翻案権)侵害であることにすらなりかねない。
 これは、アメリカのロースクールでよく用いられる「教室設例」であるが、要するに、「表現」は抽象化すればするほど「アイデア」に近付く場合があるので、その両者の線をどこで引くのかということは実際には困難な問題である。
3 「表現したもの」という要件


デザインも、抽象化されれば、もしかして「アイディア」と区別がつきにくくなるのかもしれない

権利を保護されない「アイディア」をパクる行為

素人の人たちは、そういう行為を批判するのは、無知で馬鹿だから?!

でも、プロの人が法的に権利を守るのが難しいと思ったら、情に訴えて世間を動かしたりしないのだろうか?
ファンをたきつけたり?しないのだろうか?

また、毎回「アイディア」をパクっていたら?!

英字フォントには著作権が無い?!

そのうえで、フォントについて、現在の判例をもとに回答すると、フォントそれ自体には、原則として著作権は認められません。よほどデザイン性の高いものでなければフォントが著作物として認められることはありません。

しかし、実際には、フォントの著作権侵害事件というのは発生しています。それはなぜかというと、ここにはからくりがありまして、たしかにフォント自体には著作権は認められていませんが、実際に販売されているフォントというのは、その形状をプログラムデータとして記述しているものがあるので、そのデータはプログラムの著作物として保護されるのです。したがって、市販されているフォントデータをそのまま複製・販売したような場合は、フォントプログラムの著作権侵害として訴えの対象となるのです。
英字フォントには著作権が無いって本当? - その他(法律) | 【OKWave】


ロゴビジネスが、微妙なのでは?

図形の組み合わせなのだから、本当のオリジナリティーがあるわけがない。
これまでは馴れ合いでデザイナー同士が独自性を認め合ってきたのであろうが、こいつら所詮は詐欺師であるから、独自性をガチで主張し始めるという馬鹿なことをやりはじめたのである。
図形の組み合わせに独自性があるという失笑するべき状態に終止符が打たれる。
われわれネットユーザーは何か大きなイベントのロゴが発表されたら、それと類似したロゴを探すことの楽しみを学習した。
図形の組み合わせなのだから似たロゴは必ず見つかるし、相手のデザイナーが「裁判で争う」と言い出せばこっちのものである。
ネットユーザーがロゴの類似性を指摘するのはノーリスクであり、そもそもロゴは図形の組み合わせなのだから、似ていることは間違いないわけだ。
誰も見たことがないような組み合わせがある方がおかしい。

これは写真家も似たようなものであり、同じ被写体を誰が撮影しても同じなのである。
撮影する人間によって写真の価値が違うという論法でカメラマンの利権があるのだが、これだって虚妄である。
デザイナーとかカメラマンとか無価値だし、図形を並べるとかシャッターのボタンを押すとか誰でも出来る。
これを芸術だと言い張るギルドの掟があったであろうに、ネットユーザーの頑張りで破綻したわけである。
似たようなロゴは必ず見つかる。ロゴビジネスの破綻。 | ブログ運営のためのブログ運営


賛同できない点はたくさんあるが、まあ、極論そうなるのかもとは思う。

つまり、オリジナリティーが本当はないのに、あるかのように演出しているだけなのかもとは思う。
でもって、演出なんだけど、馬鹿にはわからないっていうことにしておけば、ロゴビジネスが成立し続けれるということなのかも。

商業用のロゴって、多くの人に受け入れられなきゃいけないはずなのに、
一方では、馬鹿にはわからないことになっているのもおかしな気がするが、

たぶん、根本的にどこかがまちがっているのかも・・。
たとえば、引用先のように「本当のオリジナリティー」はないというロジックを導入すると、論理はすっきりするので・・。

 一つ目ですが、今回のような比較的シンプルなロゴマークは、著作物性自体に疑いが出てきます。「あまりにシンプルなマークは著作物には当たらない」と考えられているからです。
疑惑の五輪エンブレムは「著作権侵害」ではない? | 経済プレミアインタビュー | 編集部 | 毎日新聞「経済プレミア」


上記も、シンプルなロゴマークが、著作物かどうか怪しいって書いている感じが・・・。

属人性の排除

xxxに作ってもらいましたとかそういう触れ込みなのに、
そのロゴ自体には、デザイナー?の属人性は排除されているというケース。

「本当のオリジナリティー」= 属人性 なのでは?



・・・・・

委員会が「法的には問題がない」と判断したのも、上記のルールにのっとってリェージュ劇場のロゴが商標登録されていなかったことから、「似ている」が「違法ではない」という当然の結論である。事実、佐野氏の初期案は「似ている」商標があったので修正を行ったと説明されているので、もしリエージュ劇場のロゴが商標登録されていたら、(撤回はされたが)現在のエンブレムも「似ている」ことを理由に委員会からNGとされていただろう。



とはいえ、現在の「パクリ批判」のあり方は、その内容や手法において明らかに間違っている。
ここで長々と述べてきたことようなことを理解しているのかいないのか、本質とずれた批判をセンセーショナルに書きたて、多摩美など佐野氏が関わっている所なら話題性があるとばかりに火をつけて回るnetgeekやまとめサイトの在り様と、それに扇動されるネット民のリテラシーのほうが、パクリ疑惑以上に深刻な問題なのではないだろうか。
似ているとか似ていないとか最初に言い出したのは誰なのかしら


擁護側もたぶん、手法が間違ってると思う。

・デザイナー当人は、違法性がないことと独自性があることの2点は譲れないのでたぶんそういう説明になると思う
・委員会は、似てるが違法ではないという説明に、周りを納得させる「大義」が必要なんだとおもうけど、それがないように思う。
・似ているものを、デザイナー界では似ているとは言わないみたいなロジックは権威と信頼があるときだけ有効な説明方法だと思う。

違法性はなくても、人道的でない場合は批判されるように、違法性がないだけでは批判されない要素を一つ打ち消しただけであるけど、ごまかさずに丁寧な説明が必要だと僕は思う。

似てるのに、似てないとか、違うものですとかそういう説明はダメな気が・・。

説明リテラシーにかけてるのでは。リテラシーなんて、マナーに依存します見たいな他力本願な概念にすぎないと思う。
あと、たぶん、説明に誠実さとかがない感じなんだと思う。腰の低さとかそういうのもイメージ的には大事でしょう。

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