馬鹿を馬鹿にしていたら、本当に大事なものが見えないかも

大学時代の話。
ある日学寮で数人の寮生と共に留学生と雑談をしていたとき、彼の出身地が話題に上った。
彼はアルジェリア人であるらしい。
恥ずかしながら浅学なもので、アルジェリアという国がどういう国なのか、想像が及ばない。
モロッコあたりならこう、『カサブランカ』のイメージで、いやそれだってフィクションの中の一都市でしかなくて失礼な話だが、まあ、なんとなく。
誰ぞ気の利いた話題をひねりだせないもんかと他の学生に目を向ける。
すると、とんでもない言葉が飛び出すのである。
え? どこやっけそれ。
しかもひとりではない。仮にも旧帝国大学の学生のくせして、アルジェリアの位置を把握していない人間がぼろぼろいやがるのだ。
まあ、慣れているのだろう。アルジェリア人の彼は自国の位置を説明してくれる。だがまだ終わらない。
学歴が能力を測る指標であるという幻想


学歴が能力を測る指標であるという幻想

少なくとも「雑談」としては知らないからと沈黙するより正直に「どこやっけ」と聞いた方が好感は持てると思う。

2015/03/28 21:43

「え? どこやっけそれ。」という人の方が、この場面ではある価値観では、優秀な人だと判断できる場合もあろうと思う。

無知で「え? どこやっけそれ。」といって、会話の糸口を提供しつつ、相手も簡単なことを説明すれば会話が広がっていくので、悪くないんじゃないかなぁと思う。

あとそういうことを言っても許されるキャラクターと気さくさは悪くないと思う。

専門バカを、馬鹿にするのと似てるような・・・

極度に何かに最適化してしまうと、何らかの馬鹿になることは多い話で、そういう人を馬鹿にする手法として、一般人が知ってそうなことを知らないことをあげて、あいつは馬鹿だという論調に持っていくことが多いと思う。

でも、知らないことと馬鹿とは違うと思うんですね。
単に知らないだけ、知ろうとしないだけ、記憶しようとしないだけ、知識を生かそうとしないだけ、興味ないだけ。

逆になんでも知ってるけど、何もできない人だっているわけで・・・。

知っていても、肝心な時に生かせないのなら、バカなんじゃないの?

また、違う価値観では、知識や経験を生かせないことを、バカと評価する場合もある。この場合は、知識量、経験はあるのだが、それを生かせないということですね。

気の利いた話題の一つも思い浮かばないのなら、バカってことです。
「え? どこやっけそれ。」という人に、ある意味その場面では、負けてるわけですな。

人の良いところをもっと見て評価しないと

なおこの後クッソド田舎な地元の飲食店でバイトして、自分の先入観からずれた発言はどんなに滾々と事例をあげて諭そうと一顧だにしない低学歴の人間にふたたびカルチャーショックを受けるのはまた別の話。
学歴が能力を測る指標であるという幻想


低学歴に分かりやすく諭すこともできないなんて、何の為の知恵と能力なんだか・・・。

そういう発想にならずに、低学歴というレッテルをはって馬鹿にするために使うんだったら、なんという無駄な知性だろうかと僕は思う。

口のうまさと知性とは直接関係ないからとはいえるけど・・・。

ここぞ!!という時に、能力を発揮して結果をだせると有利

ちきりんなんかも一橋卒のマッキンゼー出身のスーパーエリートなのに、
結構間違った日本史・世界史知識を晒すことがあるしな。
ホリエモンとかもそうなんだけど、日本のエリートって教養を馬鹿にしてるところがある。
ちきりんなんかも一橋卒のマッキンゼー出身のスーパーエリートなのに、 結..


成果(結果)を出したほうが有利なんで・・・。
多くの人は能力を計ることはできないが、
その人の成果やイメージから、能力を押し計ることが多いので、そうなりがちかもね。

学歴だって同じで、学歴という成果であって、その成果やイメージをみて、多くの人は類推するわけですよ。

ただ、そのやり方は騙されることも多いって話(部分否定)と、
学歴は、能力をはかる目安にはならない(全否定)とは
話がちがうかなぁとは思う。

能力はあっても「ここぞ!!という時に結果をだせる」ことがかなり重要で、これはスポーツ選手でも同じじゃないかなぁと思う。

能力があることと、結果が出せることは、イコールで無いとはいえるけど・・・

目安や指標って、たいがいそういう要素を含むので、延々と同じ話になりがちだと思う。

自信のある人は、自身の無知さを恥じない

そういう一面もあろうとおもうけどなぁ。

昔なら、大卒なのにそんなのも知らないの?と揶揄されたりしたわけですが、そんなのをいちいち相手にする人はいないのと似たようなものだと思う。

※大卒を、旧帝国大学に置き換えてもたいして変わらない話かと思う。

本当は、揶揄しているほうも気づいているんじゃないの?とおもうけど、それはどうだか知らない。
無知でも困らなければ、問題ないんじゃないの?という話はあるけどね。

教養ある=品の良さだと僕は思っていた

高学歴の人間に教養を期待するのはてんで的外れである、ということに。
学歴が能力を測る指標であるという幻想


教養ある人、マナーのある人、そういうイメージでした。
だから、結果として、品がよさそうにみえれば、教養ありそうにつながるので、知識を引けらすことも必要ないのではと思う。

中には、あえて知らない振りできる人もいるけどね。

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