「1万のステーキより現金3千円を取る若者は哀れ」というのはホントウだと思う

でも、元ネタはテレビの番組でそうで。
1万円ステーキと3000円のどちらを選ぶ?とアンケートを取ると3000円を選んだ学生が多かった。
だけど彼らの目の前で1万円ステーキを焼いたら10人中9人が鞍替えした、ということらしい。
一万円ステーキと現金三千円の議論の噛み合わなさ | タナボタは寝て待て


はてなブックマーク - 1万円ステーキツイートで世を騒がせたお爺さん(83)の受け答えが半端じゃなく力強かった - Togetterまとめ

当人の意図は僕には分かりません。だって他人だし、世代も違うのだから。

1万のステーキより現金3千円を取る若者は哀れ

「哀れ」かどうかは、価値観に依存するのだから、ある価値観ではそうなるでしょう。
まあ、ぼくもどちらかというと「哀れ」だと思うけどね。

で反論か反感を抱いている人たちがいるみたいだけど、
・「哀れ」でないと証明したい
・「哀れ」なのは、世の中のせいだと言いたい
・その事実をなかったことにしたいので、老害にしたい
とかいろいろあると思うんだけど、どういう考えなのかは良く知らないけど・・・。

まあ、TV番組なのでそういう風にミスリード的でもそういう風に思わせようという意図のもとに作成されていたとするのなら、番組作成者の方にも反感を抱いたほうがよいとおもうけどね。

それはともかく、
1万円のステーキと、3千円の現金なら、僕は現金を選ぶと思う。
それは「哀れ」じゃないのか?といえば、僕の価値観では「哀れ」でしょう。

1万円の価値があると言えども、ステーキは現物で、食べてしまったら終わりです。
1万円のステーキなんて食べ飽きてるから、現金の方が使い勝手がよいからという理由で、3千円の現金をえらぶのなら、それは「哀れ」とは言えないかもしれません。

僕の場合は、1万円のステーキを食べ飽きてるわけじゃないのと、1万円のステーキが我慢すれば現金の3千円が入ってくるのならそっちのほうがイイかなぁと思うからです。

この状態が、世の中がつくりだした状況であろうと、老害であろうと、「哀れ」なのには変わりません。

僕の場合はそうだということで、若者がどういう価値観でそういう選択をしているのかは分かりません。
その価値観次第で、「哀れ」かどうかが分かるはずで、
若者の価値観では、「哀れ」でないとするのなら、その価値観を説明すればよいだけですね。

例えば、会社の飲み会に参加するより、そのお金で自由にしたほうがよいとかいうのも立派な価値観であり、
大昔では、「哀れ」といわれてたと思うけど、今では普通っぽい感じだとおもうけどね。

馴染みの薄い異性とのSEX

どこかのブログでTV番組の内容を取り上げていたけど、
いまは、まとめブログなどが検索で埋まっていて、見つけ出せない。

たしか僕が読んだ記憶では、
TV番組側が視聴者にそういう風に感じさせるように作っているという感じの内容だったと思う。

隠居してるとか、
ニートで自宅警備してるとか
世の中の接点にうといと、特に若者との接点がすくないと
そういう番組をみて、
そういう風に思うのは無理ないだろうなぁと僕は思う。

僕だって、TVをみて、世の中はこうなんだと思い込んでるんだから。

価値観がいろいろ変ってきたのは事実だと思う

「家族のだんらんも大事だけど、一人の時間もほしい」とかは、当たり前で無かった時代もあるわけですよ。

男は、仕事して出世しないととか
男は、結婚して小さくても一国一城(の主)にとか
とかいろいろあるわけですが、

そういうのを「何?」と理解出来ないのと同じで
年配の人も若者の価値観なんて、基本分からないとおもうけどね。

で、人は、自分の価値観でしか、評価できないので仕方は無い面はあろうと思う。

そもそも、国際化で多様化価値観をとか言い続けているのに
世代間のちょっとした価値観でさえ、こんな感じになるのは、大丈夫なのかなぁとは思う。

敵意?難癖?むき出しの「哀れ」

 この炎上は「アルファツイッタラー」が煽っている。彼らはフォロワーが数千人、数万人にのぼる人たちで、影響力がある。「逆張り冷笑系」と呼ばれる人たちで、社会ネタや雑学を引き合いに、ハスに構えたような発言をする人たちだ。多くは30代~40代前半の中年たちで、人気モデル栗原類の母親の栗原泉女史のように、名前と肩書きを出している有名人もいる。



 彼らのタイムラインを追えばわかるが、常日頃から世の中に存在する神羅万象に難癖をつけている。みんなだいたい30代~40代辺りの中年に多くアラフォーが特に顕著だ。
ステーキ炎上発言に見る「アルファツイッタラーが排外主義を煽る」と言う大問題 - ボンタイ


引用先のことは本当かどうかは分からないが、
ある価値観で見れば、「哀れ」な人たちということになろうかと思う。

バブルの頃なんて、
正論なんてかざさず、みんな好き勝手に豊かさを謳歌してたきがする。

もちろん「みんな」といっても一部例外はいて、僕なんかはその例外でした。
傍目でみてると、狂気にくるっているようにみえたけど、多くの人がそうだったので、狂気に感じたのは、
その「みんな」に属していない人たちだけだったと思う。

正しいと思って行動している人は、関係ない人からみたら、狂気に見えかねないとおもうけどね。

老害だと叩く程度では、ストレス解消にしかならない

明らかに、その程度では世の中は変わらない。
それも権力も何も持たない人を叩いても、仕方がない。

権力ある老害を叩いても、その後の世の中を作っていこうという気概がなければ、
違う既得権者にすり替わるだけ・・・。

・・・・・

お前らブロガーなら1万円のステーキ選べよ。
お金が欲しいならそんで記事書いて集客して3000円分稼げばいいだろ。
めんどくさい爺と話をするのが嫌だって?
1万円のステーキより3000円えらんだやつ全員ブロガーやめろ


その考えも、「哀れ」と思う。
1万円のステーキを食べて、その話から3000円を稼ごうという発想が「哀れ」だと思う。

だって、金持ち連中はそんなこと考えないとおもうから。

何かあるたびに、ブログ記事になるのでは?Facebookネタになるんでは?と思って
写真などを取っていたら、
何の為に、生きてるのかさえ分からなくなりそうだけど・・・。

どちらを選択するか?という話より
どのような考えをもって選択するか?という視点で
貧しさ?哀れさ?
または、
豊かさ
を考えるべきかなぁと思う。

※TV番組の情報を知ってる人は教えてください。

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