「ツッコミは鋭くないといけない」という勘違い

ツッコミは、それだけでは存在できない

大阪弁完全マスター講座 第四十八話:なんでやねん
「なんでやねん」の一言で、ツッコミはできるわけなんですけどね。

ボケとツッコミのワンセットだから成り立つわけで、
ツッコミだけでは、多くの場合は成り立たない。

ただし、一人でボケて、ツッコミするというのは可能なので、二人以上いないと出来ないわけではない。

面白いことをする・おかしなことを話すボケに対し、その間違いを素早く指摘し訂正する役割である。ボケから話題を引き戻すことによって、次のボケがやりやすくなり、結果的にテンポを良くすることができる。
ボケに対するツッコミを他者に頼らず、自らフリにのった上で自身に対してツッコミを入れるというスタイルも存在し、これをノリツッコミという
ツッコミ - Wikipedia


ツッコミなんて別にできなくても、困りはしないけどね。
例え、関西の大阪とかに住んでいても・・・。

愛がないツッコミはダメ

鋭いツッコミとは、人々の違和感をスッキリさせるツッコミだ。そのために絶妙なタイミングで違和感を訴えてるだけで。訴えるだけならサルでもできる。



最後に、新しい視点集めをしよう。違和感とか関係なしに、新しい視点だなと思ったらメモする。自分にとって新しければどんな些細なことでもいい。


補足。
ツッコミには愛が必要って話が出たので補足。本文に沿えば愛あるツッコミとは「違和感からの解放」。一方、文句(に近いツッコミ)ってのは「常識の反復」なんだよな。
例えば、友達が何かに文句ばっかり言ってたとしよう。その人は何かに対する違和感を抱えこんでる。その違和感を直接解決するには、違和感に的確な理解や表現を与えないといけない。


世の中には文句に近いツッコミが得意な人が沢山いるけど、そんな人では救えない。文句では文句への没入は救えないし、常識では常識への没入は救えない。
だから、本文ではボケ=非常識をツッコミ=常識で否定するという構図そのものを否定しているんだよね。
ツッコミスキルの鍛え方


独りよがりで暴力的なものは、多くの人には受け入れらないとはおもうけどね。
「鋭いツッコミ」が、周りから暴力的に映らないかどうかを考えたほうが、ツッコミスキルが鍛えられると思う。

簡単な話じゃないかな、周りに心配りのできないようなツッコミは、ダメだっていう事なんじゃないの?
簡単にいえば、愛がないツッコミはダメという風になるんだと思うよ。

ツッコミといえども、人から愛されて、なんぼだと思う。
ツッコミは、別に鋭くなくて、場が和めば、それでOKだという考え方もある。

あと、日頃のキャラとか人柄にもかなり依存すると思う。
また、人間関係(コミュ)の一種だと思うので、そういう関連性を無視して、どうあるべきか?という論理は意味をなさないと思う。

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