ポジティブがよいと思っていたら、それは「強迫観念」のあらわれかもしれない

ポジティブマッチョに追われ、ネットへ書けばそこへもポジティブマッチョが追い立ててドヤ顔する
この世のどこにも追われた人が嘆いて良い場所は無いらしい 
世が生き辛い 「辛い」時に「辛い」こと書くことすら責め立てる人達が追い立てる


ポジティブ系の人は、個人的にはウザったい時があるので、なんとか抑える方法がないかな?と思っていたら、「強迫観念」という用語を思いついた。そうだ、これを使って、軽く逆襲してやろうと・・・。

たぶんxxxさんは大丈夫だと思うけど、自然体を超えて、ポジティブでなければいけないとかいう人は強迫観念にとらわれ安いのでよくないらしいですよという感じでけん制できるのでは?と。

だって、自分自身だけやってる分には迷惑でもまあ許容するけど、周りにまでそれを広めようとか、強制しだそうとすると本当に迷惑な感じなんで・・・。

でも、強迫観念に対抗する概念に、「思いが強いほど現実化する」とか言い出すんですな。思いが強すぎると、現実が逆に逃げていきそうだけど・・・。

オマケに、思いの強さと、思い込みとはどう違うのかさえ、わからない。

ポジティブから、挫折しても・・・

経済的に失敗し、自分の生き方の間違いを認めざるを得なくなった。


私は前より少しだけ優しくなれる気がする。
人の弱さや社会の理不尽さを前にしても、大声で抗議するのではなく、もっと冷静に対峙できるだろう。
受け入れられないとしても、そういう弱さや矛盾は直ちに否定されるべきものではないんだ。
ごめんなさい

引用主がどうだか文章からはわからないけど、

「以前よりも少し(周りに)やさしくなれる気がする」とかいう感覚さえも、実は、自分自身を容認するためのやさしさに過ぎなかったりすることが多い気がする。結局、周りにやさしいいうことはほどんどないという感じ・・・。


人間は、勘違いしがちだから

僕をはじめ、人は勘違いしがちなので、あれこれ悩んでも仕方がないのかもしれない。対症療法的な方法論で生きていくほうがよいのかも。

マトモであろうとか、理性的であろうとか、そういう頑張りのほうが、実は「強迫観念」のあらわれなのかもしれないということ。

ポジティブマッチョが邪魔だなと思う人がいるように、僕のことが邪魔だなと思う人たちがいるということ。

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