自身の成功体験を他人に押し付ける罪深さを知るべき

彼のテストの成績が振るわずにいてゲームばかりしている彼に僕は「将来の夢はなんかあるの?」と聞き
「公務員」と答える彼に

「例えばものすごく成績がよくなっても公務員になりたいの?」と聞いた。

我が家はいわゆる下流の 家庭で、両親は金のことでいつもカリカリしているし
大学の学費、生活費は自分でどうにかしなくてはならないそんな家庭だ。

そんな彼が自分で自分の将来に希望をもつのは難しい。だからこそ彼に希望を与えたかった。


当時の僕と同じくらい努力すれば、だからこそ彼にすすめた。

彼ならそれができるとおもっていた。

だが、その目標は成功体験、とくに学業での成功体験が
ほとんどなかった彼にとってはとんでもなく難しい問題だったんだろう。

その結果彼は、自分が歩めると思った道を正攻法で歩むのを諦めざるをえないと考えた。


僕は彼に希望を示した、それが毒になった。

彼には、希望を実現するだけのエネルギーがなかった、

それに気づかず道を踏み外させてしまった。

希望は、劇薬だ。

僕はその処方をまちがえた。
http://anond.hatelabo.jp/20130102103516

希望と絶望は紙一重

希望は一時的には生きる力を与えるが、その希望がまやかしであることがわかると以前よりももっとひどい絶望を与えることになる。

そもそもまやかしの希望は、希望とは言えない。

希望を実現するエネルギーがなかったのか?

頑張っても、実現できないことがあることをまずは認識すべき。勉強でさえも、頑張ってもある一定のところまでしか伸びない。またある一定のところというのは、本人の生まれながらの能力に依存していることが多い。

つまり、死ぬほど頑張ってもダメな人もいるということ。
頑張る程度で、人生を切り開けるのなら、世の中は単純明快でゲームよりも簡単でしょう。

自身の成功体験を他人に押し付ける罪深さを知るべき

成功した人は、特に自身が頑張ったと自負する人たちは、他人に無責任に干渉してまた無責任に希望を与えて、そして結果が出なかったときは、無責任に相手が悪いことにしてしまいがちである。

本当に悪いのは、自身の成功体験が普遍性のあるものだと思い込み、また他人に押し付けるべきかどうかという考慮もなくやってしまうことである。

そして、希望を与えたこと自体が悪かった、自分自身は悪くないんだ、世の中が悪いんだ、本人に生きる力がなかったのが悪いのだという自分勝手な論理を展開しがちである。

そういう人は、他人を救えない。

精一杯背伸びをして、成功を手に入れるのも悪くないが・・・

背伸びしてるところが実は問題なんですね。

能力ある人、適性のある人は、一時的に背伸びをしても、それを一生続けないといけないということはないんです。しかし、そうでない人は頑張りで一時的に背伸びをして成功に類するものを手に入れても、それを維持するために、ずーっと背伸びして頑張り続けないと維持できない人もいます。

でも、生きるということはいつも緊張状態で頑張るということでもないだろうし、幸せだってそんな緊張だらけのところに生まれるはずがありません。

身の丈にあうという部分も、幸せになるにはある程度は考慮すべき点ではあります。

頑張るという媚薬は、実は劇薬なんです

頑張らずに、ゲーム三昧して楽しく過ごした挙句、高卒枠のしがない地方公務員?になることだて幸せにつながる可能性があるわけです。

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