被害妄想が多くて困るという被害妄想が多くて困る

・相対的剥奪
=自分の所属している集団を基準に幸せを考えること。
原発推進派も、反原発推進派も、橋下派も反橋本派も、どちらも目くそ鼻くそになるのはこれが原因。
http://anond.hatelabo.jp/20120213172130

被害妄想気味で困る

1.実際に被害を受けているが、たいした被害でないのにオーバーに言う
被害がまったくないということは、ほとんどない。本当に何もない場合は、また別の範疇になる。
ただ事実(現象)があって、それをどう解釈して被害だといっているかにもよる。

気持ち悪いとかそういう主観の部分があるので、どうしても現象だけの話になりにくい場合もある。

被害の程度は、物的なものであると相対化や絶対化がしやすいが、心情的な要因が絡む場合はそういうことは難しい。
えてして、共感できるか出来ないかが大きな比率を占めがちである

2.実際に被害を受けていて、その被害も無視できない場合
パワハラなどやセクハラなどにありがちなもの。その程度は、xxxだ。被害妄想ではないか?という主張。
これは、被害妄想ではないと本当に思って発言している場合もあるし、逆に自分の行為を正当化するためにそう発言する人もいる。この場合もいろいろな人がいるわけです。

ほかにもいろいろなパターンはあります。


被害妄想気味で困るという被害妄想が多くて困る

これはあまり認識されていないか、認識されていても特に害を及ぼす人でない第三者であることが多くて、問題として認識されにくい事例だと思います。

1.ブログなどで書かれていること以上の意味を勝手に受け取って反応する。
xxxの根拠を示してください。xxxxの事例を示してください。
もちろん、もっと紳士的に、xxxxの根拠を示していただけるとありがたいですと言う風な感じのものもあります。

2.うちの従業員は、うちの部下は、働かない。
この例だと、
従業員(部下)はきちんと働いてるのに、そう認識していないのか、それとも・・・。

この場合でも、事実関係をきちんと整理すればわかるとはいえないのです。そこには当然主観も入りますし、価値観も入ります。この価値観は、論理的なものだと誤解されがちですが、これさえも主観なのです。


ほかにもいろいろな事例があるでしょう。


周りの人が被害妄想気味である

1.いじめられていないのに、周りからいじめられてるのではないか?とかいじめを受けてるかのように扱われる

この場合もいろいろあって、当人はいじめと考えてない場合でも、世間一般の基準を用いるといじめだと認識される場合もありますし、周りの心配しすぎということもあります。



言葉遊びや言葉の表面だけを見ていては駄目

言葉の力は偉大です。スローガンがキャッチコピーがうまいだけで、その何倍もの効果を示します。
また、単に、声が大きい(発言力がある)というだけで、物事を捻じ曲げることだってできるのです。

心情に訴えるものは人をだましやすいことはよく知られていますが、逆に心情的なものが入らない論理的な物も実は人をだましやすいわけです。

だますと言うのは御幣がありますが、ミスリードを狙うと言い換えたほうがよいと思います。ミスリードするのは書き手が悪いのか、読み手が悪いのか?という問題にするかえると、これまた被害妄想的な話に発展していきます。

何かに対する価値観に基づいて発言する以上、その価値観をもたない人から見れば被害妄想だといわれる可能性があり、また逆に、被害妄想だと決め付けがちであることを忘れがちです。ある意味、切り捨てるのに便利な免罪符のように使われることさえあります。

これは、価値観に付随する問題でありますので、事実を整理してもそれをどう解釈するかと言う話ですからその部分で同じ話になってしまうのです。

原発問題をはじめ、ネットでもいろいろ論争めいたものがあるようですが、それを見ていても「妄想」だとかそういう発言はあまり生産的でないと思います。免罪符として使用してるのなら、相手するのは無意味でしょう。

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